(写真1=復興を象徴するように小洒落た商店街が並ぶ女川駅前)
仙石線と石巻線
このたびの岩手・宮城沿岸部の旅では、宮古からはそれぞれに所要があって盛岡と松島に泊まった後は、仙石線と石巻線を乗り継いで女川へ向かった。
仙石線高城町駅。松島温泉の最寄り駅で、7月4日8時19分発石巻行き。4両の電車。平日朝の通勤時間帯だったので上りホームは混んでいる。この時間帯、この高城町駅始発の列車3本もあったが、いずれも満席のようだった。
下り列車は松島湾を右窓に見ながら進む。前日、瑞巌寺や五大堂を見たり松島観光は一通り済ませてあって、何度も訪れているところだし、珍しいこともないだろうと思っていたが、やはり松島は日本三景の一つといわれるだけあって実に美しいものだった。
なお、松島は、松島湾を埋める大小様々な島々が防潮堤の役割を果たし、先の震災でも津波被害は少なかったというとである。
松島湾が終わり山を越した野蒜周辺は津波被害の大きかったところ。震災後訪れたことがあるが、駅舎が流出し、架線が倒れ、かろうじてホームが駅の痕跡をとどめているだけだった。
仙石線の復旧は急ピッチで進み、その後野蒜駅は、海岸にあった旧駅から200メートルほども後退し高台に移転していて、新しい駅前には新しい街区が建築されていた。このたびは下車することができなかったが、駅前では高台移転した新しい町の建設が進んでいるようだった。
(写真2=仙石線と石巻線の接続駅石巻の駅舎)
そうこうして石巻8時59分定刻の到着。仙石線の終点。2番線で、行き止まりの島式1面の1番2番線ホームは石巻線の3番線の脇に設けられていて、石巻駅では石巻線が先に開業し、仙石線は遅れて開通したことがわかるようだった。
石巻線9時33分発。石巻線は東北本線の小牛田と女川を結ぶ路線で、この列車も小牛田から来たものだった。2両のディーゼルワンマン運転。
右窓に万石浦。静かな水面に、養殖牡蠣のもであろうか筏が多数浮かんでいる。大変に大きくて湾なのか湖なのか判然としない。海とつながっている水路があるらしいから海水湖かもしれないし、あるいは汽水湖かもしれない。なかなか美しい風景だ。
この万石浦のはずれあたりが浦宿。女川の一つ手前で、津波で女川駅が壊滅した当時は、石巻線はここから女川まで代行バスが出ていた。
海に向かって坂を下っていくと女川9時59分着。行き止まりの終着駅である。この駅に降り立ったのは4度目。もう数十年前にもなる初めての折のことはともかく、震災後訪ねた2013年6月7日の時には思わず息をのんだものだった。その時は列車ではなく代行バスによるものだったのだが、かつて駅がどこにあったのかすら判然としないほどで、街が壊滅していたのである。
その後、石巻線が復旧し女川へ鉄道が通じたというので早速訪ねたのだった。ちょうど1年前の2015年7月1日のことで、駅は真新しくなり駅前は再開発されようとしていた。駅舎はウミネコが翼を広げたイメージだという大きな屋根の立派なもので、坂茂の設計。3階建てで、温泉まで入居していた。
このたび1年ぶりに降り立ってみると、駅前の商店街がきれいに整備されていた。海に向かって伸びており、まるで小洒落た商店街となっていた。
なお、駅舎は旧駅舎より200メートル山側に移動したとのこと。つまり、石巻線は0.2キロ営業距離が短くなったことになる。また、駅付近は7メートルばかり嵩上げされたということだった。
(写真3=ウミネコが翼を広げたイメージだという女川駅)