ABABA’s ノート

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N響「夏」2016

 

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(写真1=演奏開始直前の様子。NHKホールで)


4度目の「新世界から」
 NHK交響楽団によるN響「夏」2016と題するコンサートが先週末15日NHKホールで行われた。毎年夏恒例のもので、スポンサーは岩谷産業。同社はN響を支援して30年になるらしい。これも一つの立派なメセナであろう。
 このコンサートはクラシック音楽ファン相手の定期演奏会などと違って比較的ポピュラーな曲目が多くて毎回親しみやすいが、この日の演目もモーツァルトが2曲とドヴォルザークのシンフォニーとあって楽しめた。指揮はクリスティアン・アルミルク。ウィーン出身。
 歌劇「魔笛」序曲に続いてモーツァルトの2曲目はクラリネット協奏曲イ長調K.622。詳しいことはわからないがクラリネットのコンチェルトいうのも珍しいのではないか。実際、モーツァルトもクラリネット協奏曲はこの1曲だけらしい。独奏はポール・メイエ。オーケストラもコントラバスやトロンボーン、トランペット、ティンパニーなどが入っていなくて小編成だった。
 しかし、曲はいかにもモーツァルトらしく華やかで繊細にして時に躍動的であり変化が豊か。そして何よりも感心したのはクラリネットの魅力がいっぱいに詰まっていたこと。クラリネットとはこれ一つで実にオーケストラだなと感じたものだった。音域が広く音色も豊かで、時にフルートになり時にオーボエにもなるという具合だった。
 独奏したメイエの演奏も素晴らしいものだったが、驚いたのは第1楽章が始まって少しして独奏者が演奏を中断したのだ。何事かと見守っていたら、メイエはいったん舞台袖に下がり新しいクラリネットを持って戻ってきたのだった。楽器が不具合だったらしく、とんだハプニングだった。
 プロにしてはいかがなものかとも思えたが、感心したのは予備の楽器をきちんと用意していたこと。独奏者であれば当然のことかもしれないがこれはよかった。また、この間のパフォーマンスも明るくて好ましかった。指揮者も含めて。
 また、曲が始まったばかりだったから頭に戻って再開したのだが、同行の家内によれば、出だしから独奏のクラリネットがおかしいなと感じていたそうだ。彼女は音大出身というくらいだから音感もいいのだろうが、私はまったく気がつかなかった。
 休憩を挟んで次がドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調作品95「新世界から」。オーケストラの編成が大きくなった。
 シンフォニーとしてはベートーヴェンの「運命」とともに日本人にとって最もなじみ深いものであろう。格別のクラシック音楽ファンというわけでもない私にしてさえ、N響でこの曲を聴くのはこれが3度目。初めて聴いたのがもう52年も前で、2度目の前回は6年前の、やはりこのN響夏のコンサートだった。他のオケも含めると4度目。
  そういうこともあって、4楽章各楽章でなじみ深いフレーズが出てくるし、それがリフレインされながら進むから思わず口ずさみたくなる。日本では「家路」として知られる第2楽章が親しまれているのだろうが、実際、イングリッシュホルンのメロディはいつ聴いても印象深い。ただ、私は第1楽章が好きで、力強さに惹きつけられる。
 全般に曲想がわかりやすいのもこのシンフォニーが好まれる理由かもしれない。ドヴォルザークがアメリカに渡り、その新世界から故郷ボヘミアを思い起こしながら作曲したことはよく知られるところ。
 それは繰り返される旋律がいかにも民俗的なものだし、故郷への憧憬も強まっていたでろうことは容易にうかがい知れた。ただ、最終第4楽章を聴くと、さはさりながら、新世界はいかにも素晴らしいものだと表現しているようにも受け止められたのだった。