ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

2021年の初詣

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(写真1 1月4日神田明神の様子)

空いていた神田明神

 例年なら元旦に出かけている初詣。今年は4日になって神田明神にお参りした。神田明神は、明治神宮や浅草寺ほどの規模ではないが、江戸総鎮守の格式もあり人気の神社。例年、スーツ姿のサラリーマンの参詣が多いことで知られる。
 いつもの年なら境内はおろか、山門をはみ出し、一般道にまで延々と伸びている参拝者の列は、今年は本殿の前にわずかに列ができているだけだった。
 年末になってコロナの感染者が再び増加していて、初詣も分散したお参りが呼びかけられていた。
 それで私自身も三が日は避けて4日にしたのだが、張り合いがないほどの空きようだった。例年の十分の一もなかったのではないか。
 すべての生活が狂った昨年だったが、今年もコロナの影響は避けられないようで、しばらくは自粛が続く。もっとも、当方は毎日が日曜日の生活、家に籠もってどうしようもないほどの不便もないわけだからかまわないが、働いている人たちの不安はいかばかりか、医療に従事している人たちの苦労は増すばかりだろうし、一刻も早い収束を願うばかりだ。

展覧会『根津美術館の国宝・重要文化財』

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(写真1 ロビーの様子。正面奥の左端に見えるひときわ背の高い白い仏像が「如来立像」)

国宝7件重文88件

 港区南青山の根津美術館で開かれている。 根津美術館は、東武鉄道の社長などを歴任した実業家初代根津嘉一郎が蒐集した日本や東洋の古美術品を保存・展示するためにつくられた美術館。
 財団創立80周年記念特別展となっており、コレクションのうちの7件の国宝と重要文化財88件のすべてが展示されている。
 圧巻は尾形光琳筆「燕子花図屏風」(国宝)か。六曲一双の屏風絵で、総金地に群青と緑青の濃淡でカキツバタの群生が描かれている。迫力ある大画面が計算し尽くされているのも素晴らしい。
 あまたある国宝・重文からははずれるが、ロビーにあった「如来立像」が私には印象深かった。中国・北斉時代の一躯で、3メートル近い白大理石の仏像。両腕の肘先が失われているものの、笑みを浮かべたような穏やかな表情と流れるような曲線が良くって、仏様のありがたみが伝わってくるようだった。

お断り 2020年の本ブログの更新は本日までです。ご愛読ありがとうございました。新年は2021年1月9日から再開致します。どうぞ良い年をお迎え下さい。

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(写真2 「如来立像」=部分)

展覧会『山下清展』

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(写真1 会場で配布されていた開催案内のチラシから引用。上段の絵が「長岡の花火」部分)

ゆかりの我孫子市で

 千葉県我孫子市で開かれている。山下清(1922-1971)は、市内の弁当屋で働いていたなど我孫子市にゆかりが深い。
 貼絵を中心にペン画や油彩画水彩画などと少年期から晩年に至る山下の画業の全貌がわかる内容だった。展示作品数は約140点。
 とにかく緻密で色彩豊か。膨大な時間を要するだろうし、集中力と根気が必要であろうことはうかがえる。まるで貼絵とは思われないような作品も多いが、しかし、貼絵でなければ表現できないような奥行きも感じられて魅力の深いものだった。
 有名な「長岡の花火」(1950)など、花火の美しさに感心すると同時に、途方に暮れるような緻密さだ。
 山下は、放浪の画家として知られるが、放浪は、長いときには2ヶ月にも及ぶことがあったようだ。全国各地に足を伸ばしているが、山下は現地で制作することはなく、帰ってきてから記憶で描いていたという。あまりに有名になりすぎて放浪がしづらくなってやめたというから面白い。

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(写真2 山下清作「自分の顔」=会場で販売されていた絵はがきから引用)

 気に入ったのは「自分の顔」(1950)という作品。28歳のころの自画像だが、ゴッホに憧れがあったというが、天才同士、相通ずるものがあったのであろうか。
 山下は、我孫子の駅弁販売を行っていた弥生軒で働いていたことがあるのだが、その弁当の包み紙が山下画によるものだった。この弥生軒は、現在でも我孫子駅ホームのそば屋として続いている。
  現在の弥生軒には山下を記念する額縁が掲げられてあって、「弥生軒はぼくが働いていたお店です 山下清」と直筆の色紙や、山下が弥生軒のために描いた弁当の包み紙も紹介してある。

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(参考=我孫子駅ホームにある現在の弥生軒に掲示してある山下を記念する額縁)

白堊芸術祭今年も

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(写真1 会場の様子)

コロナにも負けず

 白堊芸術祭が今年も開催された。コロナ下のこと、開催が危ぶまれていたが、熱心な会員の後押しがあって開催にこぎ着けたもののようだ。会員の中にはこの展覧会に向けて1年をかけて作品作りに励んでいる人も少なくなく、大きな励みとなっているのであろう。
 高校時代の在京同窓会が行っているもので、毎年師走のこの時期に開催されていて今年が13回目。今回はさすがに例年よりはやや少なくはなったものの43人76作品が出品された。
 出品分野は、油彩や水彩、パステル画、水墨画、アクリル画、リトグラフといった絵画を中心に写真、書、陶芸、鎌倉彫、彫刻、グラフィックデザインなどと多彩なことが特徴で、詩と絵画を結びつけた作品も例年通り多かった。
 出品者の年代も、昭和20年卒の大先輩から61年卒までと幅広く、40年以上にもまたがっていることも素晴らしい。
 出品は、プロ、アマを問わず、また、力量を競うものでもないが、毎年初出品者がいるし、毎年見ていると、趣味にしている人たちのあいだでも技量が向上していることがはっきりと見て取れて、この芸術祭への出品が一つの励みになっていることがわかる。
 また、会期が6日間と長いし、同窓生が連日会場を訪れていて大きな交流の場ともなっていることも楽しいこと。
 会場の柱には、Projet de clonne blanche と題し、白い円柱のアートプロジェクトが行われていて、名刺大のカードに来場者が思い思いのメッセージを寄せていた。中には、「こんなことは実に稀です」(革トランク)という宮澤賢治の言葉を引いて平穏な日々が戻りますように!というメッセージも寄せられていた。賢治はこの学校の同窓生である。
 会場を一巡して気に入ったのは、坂本努(S44卒)さんの「待つ女」という油彩。どこか、アンディウォホールを彷彿とさせた。この言い方はご本人は気に入らないかも知らないが。

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(写真2 円柱に張り出された来場者のメッセージ)

冬の風物詩

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(写真1 灯油の移動販売)

灯油の移動販売も

 暖かい日もあったりするが確実に季節は晩秋から冬へと進んでいる。
 冬の風物詩といえば何を思い浮かべるだろうか。
 もっと寒くなれば、朝、霜が降りていれば冬の到来を強く感じる人は多いに違いないが、まだ、晩秋ともいえるこの季節であってみれば、落ち葉、あるいは落ち葉から関連してたき火なども冬の風物詩と言えるのであろう。
 里山などに出かけて、柿が干してあったり、大根がつるしてあったりするのを見かけると冬を感じさせる。
 食べ物では、おでんや鍋料理などもすぐに思い浮かべるし、落花生やみかんなども冬の季語である。

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(写真2 シクラメンの見事な花)

 木に咲く花ではサザンカか。彩りの少ないこの季節、貴重な花だ。花期も長いから垣根にするところも多くてあちこちで見かける。シクラメンも冬の花であろう。今年は真っ赤な花が手に入った。これも花期は長く、大事に扱えば四月ごろまでは十分に楽しめる。
 灯油の移動販売もこの季節の風物詩ではないか。我が家の周辺では毎週日曜に回ってくる。この灯油売りによれば、今年はまだ寒さも強くないようで、灯油を購入するお宅は少ないとのこと。
 我が家の暖房は、石油ストーブを中心に電気ストーブ、こたつなど。不慮の事態にも備えて、電気を使わない石油ストーブも保存してあるし、卓上コンロのガスボンベも、何かのときに役立つだろうと余分に常備してある。
 阪神もそうだったし、東日本も寒い季節に襲われた。夏の暑さはしのげるが、冬の寒さはこたえる。
 こたつに入って、みかんの皮をむきながらうたた寝をしているのもよろしいのではないか。

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(写真3 こたつのある風景)

映画『相撲道』

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(写真1 映画館に掲示されていた開催案内のポスター)

サムライを継ぐ者たち

 大相撲の醍醐味を描いたドキュメンタリー映画。約半年間、相撲部屋に密着して取材した。テレビでもたびたび稽古場の風景などが報道されて大相撲の様子をうかがい知ってきたが、映画の迫力は格別だ。一般にテレビの番組は忠実に記録してはいるものの、この映画の最大の特徴でもあるのだが、とにかく相撲の魅力を最大限に引き出そうと演出されていることだろう。監督はテレビ出身の坂田栄治。
 密着取材した部屋は境川部屋と髙田川部屋。撮影期間は、2018年の12月から2019年6月。
 境川部屋の朝の稽古場。弟子が多い、30数人か。大関豪栄道や関脇妙義龍、前頭佐田の海らが所属している。師匠は元小結両国の境川親方。厳しい稽古で知られる。そもそも、荒稽古で知られる出羽海一門から分家独立した。稽古場の奥に佐田の山の写真額が掲げられている。横綱佐田の山自身が稽古の虫で、野武士の風格だった。なお、豪栄道はこの撮影の後2020年1月場所で引退した。
 すさまじいのはぶつかり稽古。特に関取クラスがぶつかるのは想像を絶する厳しさだ。土俵を弟子たちが取り巻いていて、一番終わるつどに次は俺にと手を挙げる。すると上のものが指名するのだがなかなか下までは順番が回ってこない。
 豪栄道と妙義龍の申し合い。稽古とは思われないほどの真剣さだ。同じ部屋で大関と関脇が稽古できるのだから、その意味はいかほどばかりか。
  妙義龍が「200キロがぶつかり合うのだから毎日が交通事故ですよ」と語っていたのもあながち誇張でもない。幕下の力士が関取の先輩に対して「まるで壁にぶつかっていく感覚です」と率直な感想を述べる。
 土俵外でも、例えば妙義龍が450キロのゴムタイヤを転がしたり、320キロのベンチプレスを行っていたりその力は計り知れない。妙義龍が「力士の力は〝相撲力〟なんです」と話していた。
 ぶつかり稽古の最後に、ムカデ稽古というのがあったが、これは部屋の全員がそんきょの姿勢で土俵を回るもの。これがなかなかきついものらしい。相撲の稽古は男を磨くのだと誰かが言っていた。
 豪栄道がインタビューに答えて、強い心、優しさ、勇気が大事だと言い、「すべては自己にかえる」と語っていたのが印象的だった。また、引退後の別の場面では、後輩への言葉を聞かれて「男らしく、弱音を吐かず、我慢すること」と答えていて、いかにも豪栄道らしい言葉だと感じ入ったものだった。
 豪栄道はけがの多い力士だったが、けがをひけらかせず、泣き言を言わない力士で、後輩からはサムライのようだと尊敬を集めている。豪栄道自身は「たいしたことじゃない」と事もなげだが。
 驚いたのは会食の場面。坂田監督がごちそうしたのだが、参加者は36人。食べた量は、ご飯6升210杯分、肉200人前。支払った金額は80万6,800円。恐ろしいほどの大食感ばかりだ。
 髙田川部屋。二所ノ関一門。師匠は元関脇安芸乃島の髙田川親方。現役時代の相撲同様に、厳しくも理詰めの稽古が定評だ。幕内の竜電、輝のほか関取が4人いる。師匠もときにはまわしをつけて土俵に降りる。稽古場がぴりっと締まる。
 竜電と輝。長身の二人。何番も申し合いを重ねる。どちらも弱音を吐かない。力が拮抗するもの同士の稽古。稽古が生きていることが端からでもわかる。
 ぶつかり稽古や申し合いをしないときには、竜電は四股を踏んでいる。足を高く上げ、何回も何回も繰り返す。そのスピードが驚くほど早い。竜電は場所中でも、本場所から帰ってくると稽古場に降りて四股を踏んでいる。場所中の取り組み後の稽古は珍しいこと。特に関取では他に例がないようだ。竜電は、四股は相撲取りを作ると言い、弱いから四股を踏むとも。竜電は過去にけがで幕内から序の口まで落ちたことがあった。序の口は番付の最下位。新弟子の位置だ。関取が序の口まで落ちて現役を続けた例はないのではないか。そこから這い上がってきた執念。稽古が終わって浴衣に着替えた姿は笑顔の優しい青年だ。その竜電曰く、後輩への言葉を聞かれて「ただただ頑張ること。それも二年三年先をを見て」と答えていた。辛酸をなめてきた竜電らしい含蓄のある言葉だ。
 激しい稽古。番付一枚違えば虫けら同然と言われる世界。そこには極限まで自分と向き合い、不屈の精神で戦い続ける力士たちの姿が何の脚色もなく率直に描かれていた。
 相撲が好きな男たちの世界だし、「相撲ができる喜び」(竜電)が素直に伝わってきて感動が胸に迫ってくる希有なドキュメンタリー映画だった。

コウノトリを目撃

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(写真1 飛び立ったコウノトリ。木とかぶってちょっと見にくいが。大きさは実感できる)

千葉県野田市のゴルフ場で

 千葉県野田市のゴルフ場でプレー中、コウノトリを目撃した。
 9番ホールの池で餌をついばんでいたもので、ドジョウでもいたものか一生懸命捕食していた。同伴者がスマートフォンを携行していたので撮影してもらったのだが、近づくと飛び去ってしまった。ただし、自然の中で飛翔する優雅な姿だけははっきりと目撃できた。コウノトリは羽尾を広げると2メートルにもなるからとても見栄えがする。
 このゴルフ場の近所には野田市こうのとりの里があって、コウノトリの飼育などを行っているのだが、見かけたコウノトリは、ここで3年前に誕生して放鳥されているヤマトらしい。帰巣本能があるのか、ヤマトは今年になって帰ってきていた。
 コウノトリは、自然環境の頂点に位置する鳥で、豊かな自然がなければコウノトリは生育できないとされており、コウノトリが自由に飛んでいる姿を目撃できたということは、この付近の自然の豊かさが実証されたようなものだ。
 孫に無類の鳥好きの小学生の男の子がいて、それで今年は二度もこうのとりの里を見学していたのだが、自然の中で飛翔するコウノトリを目撃できたことは望外の喜びだった。もっとも、鳥を見てすぐにコウノトリと気がついたのはこうのとりの里をたびたび見学していたからで、東京に住む孫にも見せたいが、これからも機会があるものかどうか。
 なお、ゴルフ場の池には、コウノトリのほか、もう1羽小ぶりな鳥がいて、同じように餌をついばんでいた。初め、ヤマトの子どもなのかとも思ったが、羽の色がグレー一色だし、姿は似ているが、どうもおかしい。つまり、コウノトリは生まれたばかりの幼鳥のころからすでに白い羽に黒い尾をしているはず。それで、調べてみたら、どうやらサギの一種らしい。(2020年12月7日取材)

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(写真2 コウノトリと同じ池で餌をついばんでいたサギ?)