ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

ニューシャトル

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(写真1 ニューシャトルの路盤と右は新幹線の高架)

埼玉新都市交通伊奈線

 埼玉新都市交通のニューシャトルは、ゴムタイヤ方式によるAGT路線。東北・上越新幹線沿線住民への見返りとして建設された。大宮と内宿(伊奈町)の間を結んでいる。路線距離12.7キロ、駅数は13。
 いわゆる案内軌条式鉄道というもので、新幹線の高架に沿って敷設されていて、新幹線の橋桁を張り出して利用している様子。下り線は上越新幹線側にあり、だから、すべての駅のホームは左に張り出している。

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(写真2 大宮駅に停車中の内宿行き列車)

 大宮駅は改札口に面した1面1線のホーム。1車両はとても短くて1ドア。5両編成。中量輸送鉄道である。ワンマン運転。

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(写真3 どこまでも住宅地が広がる車窓風景)

 全線高架だから見晴らしがとてもいい。東京あるいは大宮へのベッドタウンが広がっている。しきりに新幹線と行き違う。

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(写真4 高架下に見える丸山駅の車両基地)

 途中、東北新幹線が右に分岐していったら、丸山。ニューシャトルの車両基地があるところで、本社もここ。車両基地は高架下にあった。乗務員がここで交代した。
 ここまでは複線で、下り線は上越新幹線側にあり、上り線は東北新幹線側にあった。それでここで東北新幹線が離れていったので、ここからは上越新幹線だけの張り出しとなり、単線となった。途中の駅では行き違いができるように1面2線のホームとなっていた。
 そうこうして終点内宿到着。大宮から約25分。駅前はまだ開拓途上の郊外の住宅地という様子。ここで列車は折り返し。
 なお、大宮に戻ってわかったが、大宮駅ではループ式の折り返しとなっており、上り線側からぐるっと回り込んで下り線発車ホームに入っていった。これは勝手な想像だが、車両が短く小型なのは、この大宮駅におけるループのためかもしれない。(2020年9月3日取材)

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(写真5 高架下に設けられた内宿駅)
 

根尾川と樽見鉄道

シリーズ 川は鉄路の友だち

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(写真1  樽見鉄道と並行して流れる根尾川)

長良川に劣らぬ清流渓谷美

 樽見鉄道は、東海道本線の大垣を出るとどこまでも北上していき樽見に至る。全線岐阜県である。全長34.5キロ、駅数は19。
 この間、およそ路線の半分ほどを走った織部から終点の樽見までの区間は根尾川と並行している。
 根尾川は、福井・岐阜県境に発し、いくつかの河川を集めて樽見付近で根尾川となり、そのまま南下して揖斐川に合流する。全長47キロ。

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写真2 大垣駅の樽見鉄道ホーム)

 樽見鉄道すなわち旧樽見線は、大垣駅6番線の端っこに特設されたようなホーム。1両のディーゼルカーワンマン運転である。
 大垣を出ると、どこまでも田畑が広がっている濃尾平野の北辺を列車は進む。途中、モレラ岐阜で通学中の高校生らがごっそり下車し、本巣では列車交換が行われた。
 このあたりから根尾川が左窓に寄り添ってくる。すでに大きな川だが、なかなかの清流で、鮎釣りの姿が多く見られる。
 神海。旧樽見線はここまでだった。継承した第三セクター樽見鉄道となって樽見までを延伸開業させた。全通は1989年。

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(写真3 列車はしばしば川を渡った)

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(写真4 渓谷が美しい)
 やがて盆地が狭まり山に分け入るようになって進む。同じ岐阜県内を流れる長良川に劣らない清流であり渓谷美である。この間、列車は川を何度か渡った。そうこうして終点樽見到着。大垣から約1時間。

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(写真5 樽見駅で折り返しの発車待つ列車)

 この駅に初めて降り立ったのは1994年6月18日だったが、その折には木造のしゃれた駅舎だった。それが、2007年4月28日に発生した火災による全焼している。不審火とみられている。次に訪れた2012年9月5日には新しい駅舎に生まれ変わっていた。駅舎はふれあいプラザという施設になっていた。
 また、駅前には、村制100周年のモニュメンが建っていた。

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(写真6 消失する前の樽見駅舎=1994年6月18日)

最上川と陸羽西線

シリーズ 川は鉄路の友だち

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(写真1  第一最上川橋梁を渡る列車から見た最上川)

日本三大急流の一つ

 最上川は大河である。福島、山形県境の吾妻山に発し、山形県の東寄り中央部を北に進み、新庄付近で西に向きを変えて酒田で日本海に注ぐ。全長(流路延長)229キロ。源流から河口まで終始山形県内を流れており、一つの都道府県のみを流域とする河川としては日本最長。また、流域面積は7,040平方キロで、我が国第8位。これは山形県の面積の実に75パーセントにあたる。かつては舟運で栄えた。
 この最上川に並行する鉄道は、初め奥羽本線、途中、左沢線と続き、川が西に向きを変えると、鉄道も陸羽西線と変わる。
 ハイライトは、奥の細道最上川ラインの愛称がある陸羽西線であろう。

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(写真2 陸羽西線起点の新庄駅。新幹線と在来線が並んでいる珍しい風景)

 陸羽西線は、奥羽本線・山形新幹線・陸羽東線の新庄駅から余目駅の間を結ぶ路線。全長43.0キロ。駅数10。なお、列車の多くは余目から伸ばして羽越本線で酒田駅まで直通運転されている。
 また、新庄駅の軌間はちょっと複雑で、奥羽本線の山形方は山形新幹線との共用のため標準軌であり、奥羽本線の秋田方と陸羽東線、陸羽西線は狭軌である。

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(写真3 沿線はどこまでも見事な田んぼ)

 新庄を出ると、津谷あたりから最上川とクロスするようになる。古口を過ぎて最上川は右窓に変わる。沿線は一面の田んぼである。
 清川を過ぎると最上川はいったん離れていきやがて余目に到着する。陸羽西線の終点だが列車の多くはそのまま羽越本線で酒田へ向かう。
 羽越本線に入ってから一つ目の北余目を過ぎると第二最上川橋梁で最上川を渡る。やがて舟運の集積地でもある酒田到着となる。新庄から余目まで約2時間、酒田までが2時間半の列車の旅である。
 到着して気がついたが、日本三大急流とは、あるいは『最上川舟歌』に歌われたのはどこのあたりだったのだろうか、また、芭蕉が「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んだのはどこの風景だったのだろうかと思ったものだった。

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(写真4 到着直前の酒田駅構内)
 

渡良瀬川とわたらせ渓谷鉄道

シリーズ 川は鉄路の友だち

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(写真1  右に左にと車窓に続く渡良瀬川)

美観異観織りなす

 渡良瀬川は、利根川の支流。栃木、群馬県境の皇海山から足尾を経て利根川に合流する。流域は栃木、群馬、茨城、埼玉にまたがる。延長107.6キロ。
 わたらせ渓谷鉄道は、旧足尾線を継承した路線。桐生駅と間藤駅(まとう)の間を結んでおり、全長44.1キロ。駅数17。
 路線名の通り、ほぼ全線に渡って渡良瀬川の渓谷に沿って走っている。そもそも足尾線は足尾銅山の輸送のために敷設されたもので、貨物輸送が柱となっていたが、その後廃山となり現在では渓谷美を楽しむ路線として関東で人気を集めている。

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(写真2 起点の桐生駅)

 起点は桐生。JR両毛線との共同使用駅。ホームも改札も同じ。上毛電気鉄道の西桐生駅とは徒歩数分のところ。西桐生からさらに水道山の山裾を登っていくと山腹に松本竣介のコレクションで知られる大川美術館がある。
 また、この辺は複数の鉄道が入り組んでいてややこしい。両毛線、わ鐵(わたらせ渓谷鉄道の略称。足尾線と呼ぶ人も少なくないようだ)、上毛電鉄、東武電鉄と4線もが乗り入れている。
 桐生を出るとしばらく両毛線と並行しやがて右に分岐する。二つ目の相老は東武桐生線との乗換駅。上毛電鉄線を跨ぎやがて大間々。わ鐵の車庫がある。本社もここ。

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(写真3 水沼駅にあるホームから入られる温泉)

 車窓右側に渡良瀬川。このあたりではまだ大きな川ではなく渓流である。水沼には温泉センターがある。2面2線の相対式ホームを持った駅だが、せせらぎの湯と染め抜かれた大きなのれんが掛かっていて、1番線上り方面ホームから直接温泉に入ることができる。わざわざ途中下車して一度入ったことがあるが、湯量豊富で、湯加減も良かった。地元の人たちの保養施設になっているようだ。

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(写真4 神戸駅に停車中の列車。左の青い列車がレストラン清流

 神戸と書いてごうどと読む。清流という名の車両を改造したレストランが営業している。沢入(そうり)も難読駅だろう。ここを過ぎて渡良瀬川は左窓に変わった。巨岩がゴロゴロしておりなかなかの渓谷美だ。原向を出て途中から川はまた右窓に動いた。

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(写真5 足尾銅山の工場)

 やがて通洞。このあたりから足尾鉱山の区域に入る。産業遺産足尾銅山観光への最寄り駅である。続いて足尾を経て終点間藤。現役かどうか判然としないような工場群が続いている。今も住んでいるかどうかわからないが社宅も見える。左窓の山肌がむき出しになっている。けだし異観である。足尾鉱毒事件を思い出させる。間藤では道路を挟んで古河の工場が稼働していた。間藤から先へは日光へ抜ける道路が通じている。車で約30分。

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(写真6 わたらせ渓谷鉄道終着駅間藤駅)

  この駅に降り立ったのは二度。初めて降り立った約30年前にはひなびた無人の駅舎だった。それから20年後の2011年には、駅前は何も変わっていなかったが、駅舎は新しくなっていた。

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(写真7 待合室の宮脇俊三『時刻表2万キロ』の掲示)

 待合室には、この駅をもって『時刻表2万キロ』の旅を完結した宮脇俊三を記念する展示が行われていた。宮脇が亡くなるとこの鉄道は宮脇を偲んで特別列車を走らせた。
 実は、私も宮脇さんの名著『時刻表2万キロ』を読んで鉄道にのめり込むようになったもので、特別の感慨があった。

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(写真8 かつての間藤駅=1991年3月30日)
 

釜山の影島灯台

シリーズ 世界の岬と灯台紀行

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(写真1  遠く対馬を望む影島灯台)

対馬を望む太宗台

 影島(ニョンド)は、釜山湾の島。釜山港を形作っている。釜山大橋や影島大橋などで釜山市街地と結ばれている。
 影島の南端にあるのが太宗台(テジョンデ)。広大な公園になっていて、先端にある影島灯台は対馬海峡に面し、遠く対馬を望める。
 太宗台には、釜山駅からバスが出ている。ただ、地下鉄の最寄り駅は釜山駅から二つ目の南浦だが、不慣れな外国の都市でバスを利用するのはややこしいもの。とくに途中の停留所からの乗車は要注意。だから、私はさほど離れていない場合はできるだけ始発から乗るようにしている。約40分。

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(写真2 美しい太宗台公園。モクレンが咲いている)

 太宗台公園には、遊園地や展望台、灯台などがあるが、幸い、園内はバスで巡れるようになっている。ただし、とても美しい公園だし、四季折々の花が咲いているから、歩いて回るのがいい。

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(写真3 断崖絶壁に建つ影島灯台)

 島の南端にあるのが影島灯台。太宗台灯台とも呼ばれているようだ。展望タワーといった様子で、展望台の上部が灯台になっている。白塔形の高さは35メートル。灯台の初点は1906年で、現在の灯台は2代目のようだ。海食崖によるもののようで、100メートルを超すか、切り立った断崖絶壁になっていて、荒々しい景観だが、はなはだ眺望がいい。
 眼前は朝鮮海峡あるいは対馬海峡で、対馬とは56キロの距離。天候に条件がそろえば対馬も見えるという。

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(写真4 釜山駅)

遼東半島突端老鉄山灯塔

シリーズ 世界の岬と灯台紀行

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(写真1  堂々たる老鉄山灯台)

渤海と黄海の分界線

 遼東半島は、中国東北部遼寧省の南部、黄海と分かつように渤海に突き出ている。かつて、満州国があった時代、日本が関東州といってこの地域を支配していたことがある。
  半島の南端が大連であり、さらにその最南端が現在は大連市内に含まれる旅順ということになる。日本にとってはなじみ深いところだが、現在でも大連は日本からの進出企業が多く貿易港として日本とは深い関係にあるし、旅順も軍港として栄えている。この半島の先端が老鉄山である。
 旅順は大連から約45キロ。かつては鉄道もあったらしいが現在は廃止されており、自動車で約1時間半の道のり。

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(写真2 老鉄山公園の入り口。老鉄山灯塔とある)

 半島の先端一帯は老鉄山岬の園地になっていて、老鉄山公園として整備されている。入り口には立派な門があって、老鉄山灯塔と看板が出ている。灯塔とは日本でいう灯台のこと。

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(写真3 太くがっしりした老鉄山灯塔)

 坂道を登っていくとほどなく灯台に。白く太くがっしりした灯台だ。中国語表記だが、塔の高さは14.2公尺(日本でいうメートルのこと)、外径は6公尺とある。灯台の概要説明に灯塔の太さまで説明してあるのは日本ではないことだが、しかしこれはいい。日本でも是非表示してほしいものだ。鉄製のようだ。現役の灯台だが、1892年フランスが設計製造し、1893年イギリスが建造したとのこと。当時、世界著名灯台100塔の一つに数えられていたという。
 また、灯台は海抜86.7メートルの高さにあるとのことだが、なるほど見晴らしがいい。眼前遮るもののない大海原である。いつもの私流の表現なら両腕を広げて余るほどだから200度もの眺望か。
 なお、ここは渤海と黄海を分かつところ。渤海は遼東半島と山東半島に囲まれたところで、黄海はその外側と朝鮮半島に囲まれたところといえる。中国は広大な国土だが、半島の面積では山東半島が第1位、遼東半島が第2位とのこと。
  遼東半島と山東半島は、直線距離で120キロほどか。この間を渤海海峡あるいは老鉄山水道というらしいが、この二つの半島が渤海と黄海を分断していて、老鉄山岬の先がちょうど分界線となっている。
 大陸から海へと流れ込むせいか渤海は黄色っぽく見えて、青い海の色のままの黄海とはくっきりと分かれて見えるらしいが、この日は潮の流れがよくなかったのか私にはその違いは分からなかった。いかにも奇観と言うことで、黄渤海分界線景区として人気になっている。
  なお、これも中国語表記だが、この岬の先端で(つまり灯台の位置ではないということらしい)、座標は東経120度44分33.3秒、北緯37度49分50.2秒となっている。経度から先に標記するというのも日本にはないやり方だが、それはともかく、緯度としては日本の牡鹿半島のほぼ先端に相当するようだ。

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(写真4 旅順口の碑)

  旅順は軍港であり、しばらく外国人の訪問を制限していたが、現在は開放されている。二〇三高地や乃木-ステッセル会見場跡などもあってとりわけ日本人にとってはある種の感慨がある。

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(写真5 高台から見下ろした旅順の港。湾口が狭く天然の要塞ぶりがわかる)

ユーラシア大陸最西端ロカ岬

シリーズ 世界の岬と灯台紀行

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(写真1  ロカ岬灯台のあるロカ岬)

ここに地終わり海始まる

 ユーラシア大陸をどこまでも西へ進んだ端っこがポルトガルのロカ岬である。イベリア半島であり大西洋に面する。
 ロカ岬へはポルトガルの首都リスボンから鉄道とバスを乗り継いでいける。

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(写真2 リスボンの中央駅であるロシオ駅)

 まず、リスボンの中央駅であるロシオ駅からポルトガル鉄道でシントラへ。約45分。シントラは王城があり世界文化遺産の街として知られ、散策するに楽しい。詩人バイロンがエデンの園と呼んだ。

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(写真3 ロカ岬への最寄り駅シントラ駅)

 シントラ駅からはロカ岬へ直通バスが出ていて、約40分。岬は、ポルトガルの詩人が「ここに地終わり海始まる」と謳ったところだ。

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(写真4 記念碑の建つロカ岬)

 ロカ岬は、風が強く荒涼としていかにも地の果てという印象。150メートルほどの断崖絶壁になっている。眼前には240度もの遮るものない眺望で大西洋が広がっている。風が強くあおられそうになるからぎりぎり端に立つには躊躇がある。しかし、岬好きにはこたえられない魅力的な岬だ。
 眼下の海はさほど波が高いようにも思われない。しばらく眺めていたが、海上に船影が全く見られないのはどうしたことか。

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(写真5 記念碑の碑文)

 岬には、ユーラシア大陸最西端の記念碑が建っている。石を組んだ塔になっており、碑には、CABO DA ROCAとあり、北緯38度47分、西経9度30分とあった。

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(写真6 レンガ造の灯台。てっぺんが赤い。日本では見られないような空の青さだ)

 岬には灯台がある。レンガ造で1772年建設という古いもの。現役である。座標は北緯38度46分49秒、西経9度29分56秒である。この灯台の付属舎にはインフォメーションセンターがあって、ユーラシア大陸最西端到達証明書を発行してくれる(有料)。

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(写真7 カスカイス駅)

 帰途は、シントラ駅から来たバスでそのままカスカイスという駅に出た。周回しているようだ。30分。この街も古都で人気の観光地のようだった。
 カスカイスからは鉄道でリスボンへ。到着したのはカイユード・ソドレという駅だった。
 リスボンから日帰りでロカ岬を回ってきたわけだが、考えてみれば、リスボン自体が首都としては最西端なのである。
 リスボンは、市内をケーブルカーが巡っていて、とても風情のある街。岬・灯台と鉄道好きにとっては魅力あるところ。加えて哀愁を帯びたファドが印象を深くしていた。