ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

灯台紀行:爪木埼灯台

f:id:shashosha70:20190723195006j:plain

(写真1 須崎半島突端に立つ爪木埼灯台)

伊豆半島南東須崎に立つ

 相模湾と駿河湾を分かつ伊豆半島にあって南端は石廊崎灯台であり、下田港沖合10キロほどのところににある神子元島灯台とともに大きな道標だとすれば、爪木埼灯台は伊豆半島南東の須崎半島の先端にあって、相模湾に入ろうとする船舶にとって湾の方向を誘う門灯のようなものか。まるで対岸のように大島が大きく見えている。
 伊豆急下田駅から日に4本と本数は少ないが東海バスのバス便があり約20分。終点爪木崎下車。終点近く途中には須崎御用邸がある。

f:id:shashosha70:20190723195050j:plain

(写真2 バス停から見た小高い丘の上の爪木埼灯台)

 バス停からは、海に突き出た小高い丘のように見えていたが、それが半島の先端で灯台がちょこんと顔をのぞかせていた。
 徒歩10分ほど。実際にも小さな岬で、細い尾根を進むとまるで劈頭に立つように真っ白な灯台があった。円塔形で、塔高は17メートルと大きくはないが姿のいい灯台だ。灯塔に貼り付けられていた初点銘板によると、初点日は昭和十二年四月一日とあった。コンクリート造であろうか、表面はタイル張りになっていた。また、下部はむき出しのコンクリートだった。

f:id:shashosha70:20190723194905j:plain

(写真3 南側から見た須崎半島と爪木埼灯台)

 大島が間近に見えるほか、右手前方の沖合には神子元島が見えている。神子元島灯台は、明治3年、いわゆる江戸条約によって建設された灯台。なお、灯台は断崖ぎりぎりに立っていて、海側から写真を撮ることは難しかった。
 後背に目を転じると、荒々しい磯になっていて、柱状節理によるものだという。俵磯と呼ばれているらしい。
 また、灯台周辺は、爪木崎自然公園になっていて、遊歩道などが整備されているようだった。また、ここはスイセンの群生地としても知られ、そういうところから、ここには、日本ロマンチスト協会によって恋する灯台プロジェクトで「恋する灯台」に認定された看板が立っていた。

f:id:shashosha70:20190723195218j:plain

(写真4 海側から仰ぎ見た灯台の姿)


<爪木埼灯台メモ>(灯台表等から引用)
 航路標識番号/2441
 位置/北緯34度39分5秒 東経138度59分2秒
 所在地/静岡県下田市
 塗色・構造/白色塔形
 灯質/単閃白光 毎4秒に1閃光
 光達距離/12海里(約22.2キロ)
 明弧/180度~62度
 塔高/17メートル(地上- 塔頂)
 灯火標高/38メートル(平均海面- 灯火)
 初点灯/1937年(昭和12年)4月1日
 管轄/下田海上保安部

兵庫県川西市のヨ14047

f:id:shashosha70:20190721142101j:plain

(写真1 喫茶店ジャーニーとして使われていたヨ14047)

シリーズ車掌車を訪ねて

 阪急宝塚本線川西能勢口駅から徒歩7、8分というところか、駐車場の入口付近に車掌車が置かれている。通りから見えるのだが、何か様子がおかしい。ここはジャーニーという喫茶店として使用されていたのだが、閉店になっていた。入口のドアには、「本年二月一杯で閉店」との張り紙があった。ここを訪れたのは2019年5月27日だったが、本年二月がいつの2月なのか、外装の痛み具合などからするとあるいは数年前かもしれない。
 私は、私が車掌車に関するバイブルのように重宝している笹田昌宏さんの『車掌車』でその存在を知ったのだが、ちょっと遅かったようだ。この駅は年中通っているのに途中下車しなかったことが悔やまれた。
 車体から車両番号は消えていたが、『車掌車』によれば、ヨ14047とのこと。なお、車輪は掘り下げた地中に線路を敷いて落とし込まれているとのこと。随分と丁寧に扱っていたわけだ。
 また、同書のグラビアによれば、喫茶店としてとてもいい雰囲気を醸し出しており、30年も続いた人気店だったとのこと。閉店の理由はわからなかったが、残念なことをした。私の夢は、車掌車を1台購入し、貨物列車に連結してもらい、書斎代わりに全国津々浦々をふらふらすることだが、それがかなわぬなら、喫茶店にでもしたいものだと念願していたから、ジャーニーの存在は気になっていたのだった。

f:id:shashosha70:20190721142149j:plain

(写真2 ヨ14047の側面)

王子動物園のヨ6692とヨ14542

f:id:shashosha70:20190721121301j:plain

(写真1 SLに牽引されて2両の車掌車が連結されている)

シリーズ車掌車を訪ねて

 神戸市立王子動物園は、阪急神戸本線王子公園駅から西へ徒歩2分。神戸市灘区王子町所在。なかなか大きな動物園で、ジャイアントパンダやコアラもいる。
 正面ゲートから入って、フラミンゴの前を左へと進むとほどなくふれあい広場。ウサギやヤギ、ヒツジなど小さな子ども向けの動物たちの一角にD51蒸気機関車がでんとあり、そのSLに引かれるように2両の車掌車が並んでいる。
 編成は、D51211+ヨ6692+ヨ14542。3両ともきれいに塗装が施され、外観はとても美しい。

f:id:shashosha70:20190721121409j:plain

(写真2 ヨ6692外観)

 車掌車2両の内、ヨ6692は形式ヨ6000形。不足するヨ5000形を補完する形で製造されたもので、窓が三つというのが特徴で、これは車体長が6.4メートルと、ヨ5000形の7.0メートルに比べやや短い。これによって乗務設備を3人分から2人分に減らした。

f:id:shashosha70:20190721121453j:plain

(写真3 ヨ6692の室内)

 展示車両は、室内は改造されてクロスシートとロングシートの客車用シートが配置されていた。

f:id:shashosha70:20190721121616j:plain

(写真4 ヨ14542外観)

 次のヨ14542は、形式ヨ5000形。ヨ3500形に2段リンク化を行ってヨ5000形に編入したもの。外観はヨ3500形と同じで、窓が四つある。

f:id:shashosha70:20190721121716j:plain

(写真5 ヨ14542室内)

 展示車両は、室内は改造されていて、テーブルに倚子や長椅子が配置されていた。
 2両とも開放されていて、きちんと清掃もされていて、自由に使用できるようになっていた。

f:id:shashosha70:20190721121822j:plain

(写真6 車掌車2両を牽引しているD51211)

灯台紀行:江埼灯台

f:id:shashosha70:20190720205307j:plain

(写真1 夕陽を浴びる江埼灯台)

明石海峡を照らす

 江埼燈台は、淡路島で明石海峡に面して立つ灯台。対岸は明石で、海峡は最狭部は幅がわずかに3.6キロ。大阪湾と播磨灘を分かつところであり、海上交通量が非常に多い。
 淡路島には明石港から旅客船で渡った。山陽明石駅から徒歩5分ほど。淡路ジェノバラインが明石港と淡路の岩屋港の間を結んでいる。旅客用でこのルートにはフェリーの運航はないようだ。
 日曜の夕方だったのだが、大半が常連客のようで、観光客の姿は目立たなかった。高速双胴船で、自転車とオートバイは乗船できるようだ。

f:id:shashosha70:20190720205422j:plain

(写真2 巨大な明石海峡大橋)

 明石港を出ると斜めに海峡を横切っていく。すぐに明石海峡大橋が見えてくる。世界最長の長大橋で、全長が3,911メートル。海峡は流れの速いことで知られているが、この時間帯は潮流の影響はさほど感じられなかった。
 大橋が近づいてくるとその巨大さに圧倒される。それもそのはず、何しろ海峡を一またぎしているのだから。特に、海面上298.3メートルもある主塔の高さには感嘆するし、世界最長の中央径間もすごい。世界最大の鋼構造物であり、その製作に溶接技術があったことは言うまでもない。
 やがて船は大橋の下をくぐって岩屋港へと入っていく。この間わずかに10数分。料金は500円。なお、大橋の下をくぐった際に見上げた補剛桁の巨大さには感動した。
 岩屋港の周辺は街になっていた。ここから灯台までは4キロ弱ほどか。最悪歩くことも覚悟をしていたが、幸いタクシーが待っていた。
 タクシーなら海岸沿いをわずかに10分弱。小さな公園があって、5台ほど停められる駐車場もあって、目印となる高さ数メートルほどの灯台の模型もあった。その脇が灯台への登り口となっていた。
 タクシーには待っていてもらうことにして、さて、登ろうかとしたところ、階段を降りてきた初老の女性がいて、途中が薄暗くて恐くなり戻ってきたとのこと。それで、タクシーの運転手が、この旦那が今から灯台に登るらしいからついていったらいいと助言。
 然らばご一緒にということで登り始めたのだが、なるほど鬱蒼としている。しかし、そんなことよりも階段がきつい。それも階段の踏み幅が狭いから、まるでつま先だけで登っていくようで、とてもかかとまでは踏み込めない。全国の灯台にはこういう階段がままあるが、これはつらい。

f:id:shashosha70:20190720205530j:plain

(写真3 灯台から見た明石海峡)

 階段も急なのだが、それでも10分とかからず灯台に。眼前に明石海峡があり、すぐ対岸に明石の街が迫っている。一緒に来た女性が、明石に住んでいて、毎日この灯台の灯りを見ながら暮らしているとのこと。それで、灯台から見たら自分の家がどのように見えているのか知りたくて、初めて訪れてみたのだということ。なるほど、女性の指さすマンションが視認できるほどに近い。
 海峡に灯台は必ずというほどにあるものだが、なるほど、これほど対岸の近い距離は珍しい。明石側は、海際までマンションが屹立しているように見えるし、すぐ右横には明石海峡大橋が勇姿を伸ばしている。

f:id:shashosha70:20190720205654j:plain

(写真4 海側から見た灯台)

 灯台はずんぐりしたつくり。半円形のように見えるが、実際は円形の灯塔に付属舎がついたもの。真っ白な大型灯台だ。塔高はさほど高くはないからレンズが間近に見える。日本における灯台の父ブラントンの設計で、同じような形のものは北九州の部埼灯台などもそうで、全国で時折見かける。

f:id:shashosha70:20190720210056j:plain

(写真5 レンズは第3等フレネルレンズ)

 灯台に貼り付けてあった初点銘板によれば、初点灯が明治四年(辛未)四月二十七日(旧暦)とあったが、これはいわゆる大坂条約で欧米列強と建設を約定した5基の洋式灯台のうちの一つで、御影石を使用した石造。最初の光源は石油ランプだったらしい。歴史的文化財的価値が高いところからAランクの保存灯台に指定されている。また、近代化産業遺産でもある。
 ちなみに、大坂条約の5基とは、この江崎のほか六連島、部埼、友ヶ島、和田岬の各灯台で、関門海峡から紀淡海峡まで瀬戸内海を結ぶような位置にある灯台である。
 灯台が建っているのは海抜40メートルほどの高台。眼下を通る船舶がよく見える。1日に1,400隻も通過するというほどに交通量が多い。この狭い海峡を通過する際には独自のルールがあるようで、全長50メートル以上の船舶は右側通行と定められているという。
 日が暮れてきたが、まだ灯台は点灯しない。くだんの女性の話によると、この灯台は白と赤が交互に光るらしい。光達距離は白光で18.5海里(約34.3キロ)というから、対岸はもとより随分と遠くまでを照らしている。
 来るときには大橋にばかりに注意がいって気がつかなかったが、帰途の船上から見たら、岬の中腹にある灯台がかすかに視認できたし、そのさらに高いところには通称大坂マーチスと呼ばれる大阪湾海上交通センターの白い建物が見えた。まだ灯台は灯りを灯していなかった。また、江埼の先に落ちる夕日が美しかった。

f:id:shashosha70:20190720205807j:plain

(写真6 帰途の船上から見た江埼の先に落ちる夕日)

<江埼灯台メモ>((灯台表及び燈光会等が現地に設置した看板、ウキペディア等から引用)
 航路標識番号[国際標識番号]/3801[M5796]
 位置/北緯34度36分23秒 東経134度59分36秒
 所在地/兵庫県淡路市野島江崎
 塗色・構造/白色 塔形 石造
 レンズ/第3等不動フレネル式
 灯質/不動白赤互光 白色5秒 赤色5秒
 実効光度/白光6.2万カンデラ 赤光2.4万カンデラ
 光達距離/白光18.5海里(約34.3キロ)赤光16海里(約29.6キロ)
 明弧/61度~266度
 塔高/8.27メートル(地上- 塔頂)
 灯火標高/48.5メートル(平均海面- 灯火)
 初点灯/1871年(明治4年)6月14日
 管轄/海上保安庁第五管区海上保安本部神戸海上保安部

N響 夏 2019

f:id:shashosha70:20190720165709j:plain

(写真1 演奏開始直前の客席の様子)

ロシアとフィンランド 北国の叙情

 NHK交響楽団の演奏会が7月19日、NHKホールで行われた。毎年夏恒例の一般向けの演奏会で、スポンサー岩谷産業。指揮はモスクワ生まれのディマ・スロボデニューク。
 今年の演目は二つ。1曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18。ピアノはマケドニア生まれのシモン・トルプチェスキ。
 ピアノ協奏曲第2番は、ラフマニノフの代表曲で、馴染みやすいメロディもあって親しめた。同じロシアの作曲家としてラフマニノフが尊敬するというチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番ほどではないにしても、印象的な出だしがあって、大胆にして繊細、ラフマニノフの魅力を引き出す情感豊かな演奏だった。
 特にピアノは力強くも闊達な演奏で、心の底に染みいるようなメロディを弾いてきれいな音に感心した。また、演奏中の仕草が独特で、天井を見たり、第一ヴァイオリンの方を振り返ったり、指揮者をのぞき見たりと忙しかった。また、万雷の拍手に誘われて弾いたアンコール曲は、日本古謡「さくらさくら」をアレンジしたもので印象深いものだった。
 2曲目は、シベリウスの交響曲第2番ニ長調作品43。これも好事家の間でシベ2と呼ばれて親しまれている曲で、時にミステリアスに感じさせる豊かなメロディーが印象的だった。ただ、交響詩「フィンランディア」のようなフィンランド人としてののアイデンティティーをことさらに感じさせるようなものには受け止めなかった。
 なお、1曲目の時もそうだったが、オーボエやフルート、クラリネットの演奏がよかった。特にオーボエなどはもう少し長い演奏ならより印象深かっただろうにと思われた。
 また、第3楽章と第4楽章は途切れなく続けて演奏されたから、第4楽章の演奏が終わっても拍手に間があいていた。
 このあたりは、この日の演奏会が定期演奏会のような好事家相手とは違って、スポンサー付きの一般向けの演奏会だからちょっと戸惑ったもののようだった。もっとも、一般向けだから、演目に著名なものが選ばれていて親しみやすかった。
 ところで、チェロの演奏者として、つい前々日にムジカーザでお会いしていた西山健一さんの姿が見られてとてもうれしかった。

忍者線の伊賀鉄道

f:id:shashosha70:20190714102323j:plain

(写真1 伊賀線の中心上野市駅の高台に建つ上野城の天守閣)

全鉄道全線全二周踏破に向けて

 伊賀鉄道は、近鉄大阪線の伊賀神戸駅(いがかんべえき)とJR関西本線の伊賀上野駅間を結んでいる。
 近鉄から伊賀鉄道に乗り継ごうと伊賀神戸駅に降り立つと、簡便なものながら中間改札があった。この駅に降り立つのは二度目だが、かつてはこのような改札はなかったのだった。それもそのはず、伊賀鉄道はそもそも近鉄の伊賀線だったのである。ただし、両線間の連絡はよくて、近鉄の特急電車の到着は12時41分に対し、伊賀線の発車は12時45分。

f:id:shashosha70:20190714102548j:plain

(写真2 伊賀神戸駅に停車中の伊賀線電車)

 短いホームから2両の電車。日曜の日中だから乗客は少ない。忍者の絵柄の法被を着た乗務補助員が切符の取り扱いをしている。無人駅が多いようだ。びっくりするほど品がよくおしゃれなおばあさんが補助員と話している。地元同士の顔見知りなのかもしれない。
 伊賀線は、三重県の北西部に位置し、奈良や滋賀との県境にも近く、上野盆地を貫いている路線。全線伊賀市である。沿線は田畑が多い。猪田道で列車交換。単線なのである。

f:id:shashosha70:20190714102634j:plain

(写真3 上野市駅の駅舎には〝忍者市駅〟の表示)

 そうこうして上野市駅到着。ちょっとややこしいが、合併して伊賀市となったが、中心は上野市駅周辺。
 その上野市駅に降り立つと、駅舎には大きく忍者市駅と表示があり、伊賀線の路線名も愛称は〝忍者線〟とある。徹底して忍者を売り出しているのだ。駅前には松尾芭蕉の銅像があった。生誕の地なのである。
 上野は、藤堂高虎が築いた城下町で、大阪城を補完する重要な位置を占めていたといい、京都や奈良と伊勢を結ぶ奈良街道、伊賀街道が交差する交通の要衝だったようだ。
 上野市駅が近づくとすでに右窓に見えていたが、駅の後背、高台に美しい天守閣が見える。上野城である。駅から歩いて10分もかからないというので、訪ねてみた。大阪方を睨む戦略的築城だったというが、築城の名手といわれた藤堂高虎らしい美しさだった。なお、この天守閣は模倣されたもの。

f:id:shashosha70:20190714102732j:plain

(写真4 上野城で遭遇した忍者)

 お城を見物していたら、かわいい忍者に遭遇した。家族連れだったが、写真を撮らせて欲しいと頼んだら、忍者のポーズまでしてくれた。いかにも忍者の町のこと。お礼にキャンディをあげたらとても喜んでいた。
 町は戦災の被害もなかったようで、お寺も多いしいかにも城下町らしい街路が残っている。荒木又右衛門生誕の地だといい、〝鍵屋の辻〟の地名も残っていてびっくりした。ここが有名な決闘の場所だったのである。
 上野市駅で伊賀線は運転系統が変わるようで、全ての列車はここで乗り継ぎ。また、構内には伊賀線の車庫もあった。電車の網棚には忍者の人形まで置いてあった。よくよく忍者が好きなのである。
 上野市駅を出ると久米川沿いに走りわずか三つ目が終点伊賀上野。JR線との接続駅だが、ホームは共用で、両線との間にはそれこそ改札もなかった。関西本線もこのあたりは非電化単線区間で、自動改札もなく、ICカードも使用できなかった。

f:id:shashosha70:20190714102831j:plain

(写真5 伊賀上野駅の駅舎)

<線区メモ>
線  区  名/伊賀鉄道伊賀線
区  間/伊賀上野駅-伊賀神戸駅(全線三重県伊賀市)
路線距離/16.6キロメートル
軌  間/1,067ミリ
駅  数/14駅(起終点駅含む)
複線区間/なし(全線単線)
電化区間/全線電化(直流1500V)
歴  史/1916年開業、2007年近鉄から伊賀鉄道に運営移管

全鉄道全線全二周踏破に向けて

f:id:shashosha70:20190710110118j:plain

(写真1 全鉄道全線踏破を達成した島原鉄道加津佐駅で。2007年11月3日)

阿呆か気違いか

 岬が好きで、全国の岬を訪ね歩いてきた。岬は辺境にあることが多いから、鉄道も随分と隅々まで乗ってきた。
 そんなあるとき、宮脇俊三さんの『時刻表2万キロ』を読んで、そうか、こんな趣味もあるんだなと感化され、自分もどれほど乗っているのかと調べてみたら、ざっと7割ほどもすでに乗っている。これなら自分も達成できるのではないか、そう思って鉄道にも目を向けるようになった。
 つまり、宮脇さんの名著は、国鉄全線2万キロ完乗の悪戦苦闘を描いたものだったのだが、そもそも私も鉄道好き、然らばと積極的に鉄道に乗る旅にも出るようになったのだった。
 しかし、これは宮脇さんも書いておられることだが、初めの7割と残る3割では困難さが格段に違った。虫食いのように残っている路線をつぶしに行く、そのような旅が毎週末のように続いたのである。
 例えば、男鹿半島の入道崎には秋田から男鹿線の終点男鹿の一つ手前、羽立駅が入道崎へのバス便の最寄り駅となる。男鹿まで行ったのではバスに連絡しないのである(現在は変わって、男鹿駅発のバスは男鹿線の到着を待って発車する)。従って、全線踏破のためには、羽立までは乗ったことがあるのに、一駅分だけ残った男鹿線にまた乗りに行かなければならないということになるのだった。

f:id:shashosha70:20190710110206j:plain

(写真2 旧国鉄全線完乗を達成した留萌本線増毛駅で。2003年7月17日)

 しかし、そうこうして2003年7月17日、留萌本線増毛駅をもってついに旧国鉄(JR・第三セクター鉄道)全線完乗を達成した。その気になってから18年が経っていた。
 その後しばらくは目標を失って茫然とする日々が続いていたが、それでも、岬には引き続き出掛けていたし、鉄道にもあっちこっちと乗り歩いていた。
 そうしたら、この際、日本の鉄道の全部に乗ってやろうと思い立ち、そのことを新たな目標としたのだった。
 やってみてわかったことだが、乗ったことのない鉄道に乗る、初めての車窓に目を向ける、見知らぬ終着駅に降り立つ。この楽しさには、実はJRも私鉄もないのである。再び全国津々浦々を訪ね歩く旅が続いた。そして、ついに2007年11月3日、島原鉄道加津佐駅をもって日本全国全鉄道全路線踏破を達成したのだった。旧国鉄全線完乗からわずか4年のことで、随分と早く達成できた。もっとも、旧国鉄2万キロに対し私鉄等は8千キロほどではあるが。なお、これには、すでに乗り終えているJRに加え、第三セクター、私鉄、地下鉄、モノレール、新都市交通、路面電車、ケーブルカー等とにかく日本全国の鉄道と名の付くものすべてが含まれている。
 鉄道雑誌の編集に携わっていた鉄道に詳しい友人の話では、JRを完乗した者はそれなりの人数になるだろうが、全鉄道となるとさすがに限られるのではないかということだった。
 もとより旅好き鉄道好きのこと。引き続き鉄道に乗って旅には出ていた。しかし、乗りつぶそうとか、そういう目標があって乗っていたわけではないが、一度は乗ってあるものの、久しぶりのところ、季節を変えて、あるいは起点終点を違えてなどと気ままに乗っていたら、これもある時点でJR全線の7割にも達している。それで、この際、全線をもう一度乗りつぶしてみようと新たな目標を見つけ出したのだった、つまり、JR全線全二周を達成しようというわけである。
 それも、東京から鹿児島まで全て普通列車だけで乗り通してみたり、同じように東京から青森まで普通列車だけで乗り継いでみたりと変化球を交えながら乗っていたら、2017年1月5日、名松線伊勢奥津駅をもってJR全線をすべて2回以上完全に乗車するというJR全線全二周完乗を達成したのだった。いやはや大変に物好きなことではあった。
 JR全二周を終えてのんびりしていたが、私にはある種収集癖のようなものがあるのだろうか、何か手持ちぶさたのような気がしてきて、それで、JRは全二回乗ったことだし、この際、私鉄も含めた全鉄道全二周に挑戦しようと思い立ったのである。
  今はその途次にあり、まだまだ未乗区間(二回目という意味で)も多いが、人生の終盤に好きなことをやる、これもいいのではないかと思い、今日も新たな旅立ちにある。
 まあ、これは、まるで阿呆なこと、内田百閒先生のお叱りを受けそうだし、宮脇俊三さんには気違いと呆れられそうだが……

f:id:shashosha70:20190710110303j:plain

(写真3 JR全線全二周を達成した名松線伊勢奥津駅で。2017年1月5日)