ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

京成千葉線・千原線

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(写真1 京成津田沼駅ホーム。左が6番線新京成線電車、右が5番線京成千葉線電車)

千葉の鉄道②

 起点の松戸から乗った新京成線を終点京成津田沼で京成千葉線に乗り継いだ。6番線に到着で、京成千葉線列車はすでにホーム向かい側5番線で発車を待っていた。
 京成津田沼駅は、京成電鉄の中間駅としては大きな駅で、3面6線のホームがあり、京成本線はここから直通して成田空港へと向かう。
 また、千葉市の都心へと向かう京成千葉線はここから分岐して千葉中央行きとなり、さらに京成千原線へ直通する。
 新京成線の電車は、日中はかなりの頻度で京成千葉線に乗り入れ、千葉中央行きに直通するが、乗った電車は京成津田沼始発の京成千原線直通ちはら台行きだった。
 9時36分の発車。左をJR総武線の電車が併走している。JRの快速列車が追い抜いていく。軌間はJRの狭軌に対し京成が標準軌と広いからスピードを出すには有利だが、京成は駅間距離が短く頻繁に停車するからなかなか速度を上げられないのであろう。しかし、それでもJRの普通電車に比べればやや早いのではないか。京成線はJR線に比べ海寄りに走っており、住宅地の中を縫って走っている。さらに海側が京葉線ということになる。
 そうこうして京成千葉。かつては国鉄千葉駅前という名だったはずで、JR駅に隣接している。電車は数百メートルほどそのまま直進し千葉中央。
 京成千葉線はここまで。京成津田沼から12.9キロ。駅数は10。片側1面1線のホームが相対して2面2線あるだけで、およそ終着駅らしくはない。
 乗ってきた電車は京成千原線直通でそのまま乗っていた。どうやら、新京成線から直通してきた電車が千葉中央駅で折り返し運転となり、京成津田沼発の電車が京成千原線直通となる運用のようだ。
 千葉中央を出てJR線をまたいだ。遠くJFEの製鉄所が車窓右に見えた。続いて千葉寺(ちばでら)。千葉氏にも遡る千葉寺が近い。
 そうこうして終点ちはら台。10時05分着。千葉市のベッドタウンだろうが、開発途上という印象で、この駅に降り立ったのは5年ぶりだが、大きな変化は見られなかった。
 京成千原線は、千葉市の南部に延びる路線で、千葉中央駅からちはら台駅まで10.9キロ。駅数は6。京成津田沼から通算すると23.8キロの営業距離ということになる。

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(写真2 京成千原線ちはら台駅)

北総台地を走る新京成電鉄

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(写真1 カーブの多い新京成線。これは新鎌ケ谷を出てほぼ直角に曲がっているところ)

千葉の鉄道①

 新京成電鉄は、松戸駅と京成津田沼駅を結ぶ。全線千葉県内を走っている。松戸で常磐線と接続し、終点一つ手前の新津田沼駅で総武線津田沼駅に隣接する。地図で見ると東京の東側外環を半周しているように見える。路線距離26.5キロ、駅数は24。関東地方では唯一の準大手私鉄である。
 歴史的には変わったいきさつを持っていて、この路線の大半は、旧陸軍の鉄道連隊が演習用に敷設した軌道。鉄道連隊演習線松戸線と呼ばれていたらしいが、第二次世界大戦後に京成電鉄へ払い下げられ、新京成電鉄の設立を経て今日に至っている。運転にあたっては軌道敷きの整備が行われた。

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(写真2 松戸駅7番線で発車を待つ新京成線京成津田沼行き電車。右はJR線ホーム)

 これまで乗っていては見えてこないものが見えてくるかと思い、この新京成線をつたい歩きしてきたが、乗って見えてくる風景はどうなのか、改めて乗りに出かけた。つたい歩きと期日が前後するところもあったが、2018年の暮れも押し詰まる12月29日、新京成線松戸駅。島式1面2線のホーム。JRからの通しホーム番号で7番線から8時50分の発車。京成津田沼行き。次発が京成千葉線千葉中央行きだった。6両編成。ピンク色を施した車体が美しい。
 松戸を出るとすぐに右にカーブしていった。平地を走っている。全て各駅停車の普通列車で頻繁に停まる。駅間距離が短いようだ。八柱でJR武蔵野線の新八柱駅と接続。クロスしているのだが、おそらく新京成駅が先に出来たのであろう。細かいことだが、新京成は〝やばしら〟と言うのに対し、JRは〝しん・やはしら〟と濁らない。
 駅間距離が短いのにスピード感がある。線形が良くなると一気に速度を上げているようだ。ゲージが1435ミリと広く標準軌なことも有利だ。
 常盤平、五香と美しい街路の街を通り、左に陸自松戸駐屯地の広大な敷地を過ぎてくぬぎ山。乗務員が交代した。新京成電鉄の本社があるところで、車両基地もここにあった。
 沿線には果樹園が多い。北総線の高架をくぐりそのまま北初富から新鎌ケ谷へと並走した。北初富からは高架化工事の最中のようで、下り線ホームのみすでに高架となっていた。
 新鎌ヶ谷駅は北総線(成田スカイアクセス線)や東武野田線と接続。直角に線路が交わっている。
 新鎌ケ谷を出るとほぼ直角に右に曲がった。カーブの多いのが新京成線の特徴だが、何でも、これは鉄道連隊の演習用にこうなっているとどこかで聞いた記憶がある。真偽を確かめてはいないが。
 そう言えば、この路線は河川を渡る橋がどこにもない。北総台地という地理的条件なのだろうが、そうなると、架橋などという訓練ができないことになり、鉄道連隊の演習に不都合はなかったのだろうか。
 新鎌ケ谷を出ると東武線が右に離れていったが、その先遠く快晴の空に富士山がくっきりと見えた。続いて鎌ヶ谷大仏。駅のそばに墓地があって、そこに大仏が鎮座している。
 やがて高根公団。続いて北習志野で東葉高速鉄道と接続する。このあたり一体は旧陸軍の習志野演習場があったあたりで、習志野、薬園台と進むにつれて乗客が増えてきた。
 そうか、今になって気がついた。松戸と習志野、路線の両端に陸軍の駐屯地があったことと、鉄道連隊の演習線が設けられたことは無関係ではないのかも知れない。
 そうこうして新津田沼、9時31分。JR津田沼駅への最寄り駅であり、乗客の大半が下車した。列車はそのまま進み、JR線を跨いで終点京成津田沼到着9時33分。松戸から43分だった。なお、この新津田沼-京成津田沼間だけは単線になっている。京成線との接続駅である。
 そもそも、新京成線は当初は新津田沼駅が終点だったところ。それを京成線と接続できる京成津田沼まで延伸させたのである。ただ、このために随分と無理をしたようで、新津田沼を出ると電車は右に左にとカーブしているし、複線にすることもかなわなかったらしい。
  平日の日中なのに電車の本数が多い。駅間距離が短い分、乗降客も頻繁に代わる。朝夕はもちろん通勤通学客であろうが、日中も生活路線として沿線住民の支持を得ているようだ。車両もきれいで整備も行き届いているようだし、データを見ているわけではないが営業成績もいいのではないか、そのように思われた路線だった。

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(写真3 京成津田沼駅。左が新京成線電車。右が京成線電車)

新京成線つたい歩き(続き)

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(写真1 習志野は高台を開拓したのか坂が多かった)

26.5キロをついに完歩

 2018年11月15日から始めた新京成線のつたい歩きは、第2日の12月29日には高根公団駅まで到着していて、このたび残っていた終点京成津田沼駅までを歩いた。
 2月1日。高根公団駅、10時50分ウォーキング開始。快晴だが、夜来の雪が残っているし、冷たい風が強い。
 線路の左側を歩きはじめ、すぐに高根木戸駅10時59分。わずか600メートルの駅間距離で、前駅がまだはっきりと見えている。

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(写真2 東葉高速鉄道とクロスしている北習志野駅)

 このあたりはすでに大きくは習志野になっているらしく、線路の右側を歩いて行ったらほどなく11時18分北習志野駅。東葉高速鉄道とクロスしていて、新築されたらしく立派な駅舎だった。何度か来たことがあるが、日大の理工学部がここだった。
 歩いていると、右側が深い谷になっていることがわかる。斜面を住宅が埋め尽くしている。習志野駅11時39分。大小の団地が点在し、アパートが多い。
 このあたりは自衛隊の施設が多い。明治以来の陸軍習志野演習場の歴史があったからで、陸自の習志野駐屯地や習志野演習場があり、珍しい部隊としては陸自の第一空挺団もある。また、空自の習志野分屯基地もあり、ペトリオットミサイルを運用する第一高射群がある。
 薬園台駅11時53分。つたい歩きが難しくなってきた。まっすぐに伸びた道が少なくて、谷を下ったり登ったり。少しずつ宅地が広がっていったようで、一つひとつのブロックが小さくて、複雑な街路が連なっている。当然抜けられない小路も出てくる。
 時に線路を見失うこともあって前原駅12時32分。高台の縁を進むと津田沼十字路。大きな交差点で、正面にJR津田沼駅が見え、左には新京成線が望めた。そのまま直進すると突き当たりがJR津田沼駅。何度も利用したことのある駅だが、古い駅舎がそのまま使われていて、この頃ではJRの駅はおおむね新しくなっているところが多いからびっくりした。

 

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(写真3 新津田沼駅)

 駅前を左に曲がるとすぐに新京成線の新津田沼駅。開業当初はこの駅が終着駅だった。両駅間は乗換駅として利用されているようだ。駅舎には大手のスーパーマーケットが陣取っていた。

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(写真4 JR総武線と直角にクロスしている新京成線)

 つたっていくと線路はすぐに右に大きくカーブ。そこをくぐってさらに進むとJR総武線とクロス。JR線の上を新京成線が跨いでいる。
 そのまま直進するとやっと新京成線の終点京成津田沼駅。13時38分の到着。この日歩きはじめた高根公団駅からではちょうど7キロ、約2時間50分の所要だった。また、起点の松戸駅からでは26.5キロである。
  初めてのつたい歩き。乗っていては見えてこないものが見えるかと始めたのだがなかなか面白かった。沿線の様子がよくわかるし、歴史を学ぶこともしばしば。たびたび道を尋ねたから、地元の人たちとのふれあいも多くて、これも楽しいこと。
 新京成線ということで一つ驚いたことは、河川を渡る橋が一つもなかったこと。26.5キロも走ってこれは珍しいのではないか。北総台地という地形のせいではあるのだろうが、このことはまた随分と災害に強い地域ということも言えるのだろう。
 当初は2日間で歩き通せると読んでいたが、結果的には3日間になった。路線距離としては26.5キロだが、それをつたい歩くと1.5倍ほどにはなっているのではないか。つまり、約40キロということ。所要時間は3日間合計で約13時間。これならやはり3日間は必要だったのであろう。

新京成線つたい歩き(再開)

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(写真1 小金牧の野馬土手。総延長は150キロもあったと記されている)

くぬぎ山駅から高根公団駅まで

 つたい歩きとは、鉄道線路沿いをつたって歩くこと。久住昌之著『線路つまみ食い散歩』を読んでこんな鉄道漫歩もあるのかと思い興味を持って実践してみた。
 どの路線がいいものか、何しろ初めてのこと慎重に検討した。乗るということに関してはそれこそ全国残らず乗っているが、つたい歩きにはどういう路線がいいか、山間部や長い橋梁を渡るものなど難易度の高そうなものは避けて、初心者向けのやさしそうな路線を探した。
 それで選んだのが新京成線。千葉県松戸市の松戸駅から習志野市の京成津田沼駅を結ぶ全線26.5キロの路線。地図で見ると結構曲がりくねった路線で面白そうだ。これを全線一気に踏破するのは難しそうなので、半分ずつということに。
 最初は、昨年11月15日に実行した。起点の松戸駅からほぼ中間地点の新鎌ヶ谷駅までを目標に歩きはじめたが、約5時間歩いたところ手前のくぬぎ山駅でこの日は打ち切り。疲れたわけでも足が痛くなったわけでもなかったが、無理をしすぎてもいけないと思い自重した。松戸駅から路線距離で9.6キロだった
 続きは12月26日に実行した。しばらく放り出していたが、やはり全線を歩いてみたいものだと思い残りに挑戦。
 10時20分くぬぎ山駅を出発。津田沼方面に向かって線路の右側を歩いていて、新京成電鉄本社前を抜けると、果樹園が広がっている。果物は梨であろうか。道に沿って2メートルほどの高さの土手が続いていて、どうやら野馬土手だったらしい。このあたり一帯は江戸時代には馬の放牧地として知られる小金牧だったのであろう。
 そのまま進むと、新京成電鉄の車両区があり、車両検修場にもなっていて、大きな施設で、おびただしい車両が留置されていた。
 やがて北総線の高架が見えてきて、このあたり、新京成線は高架化工事を行っていて、すでに下り線側は使用されていた。北初富11時15分。
 そうこうして新鎌ヶ谷駅到着。11時39分。新京成線と北総線の共用駅で、東武線は地下で直角にクロスしている。
 平成になって開業した駅だが、3線が接続していて駅前は大きい。地元の人はシンカマと呼んでいたが、大規模開発の真っ最中のようで、銀行やビジネスホテル、それに近所には市役所もあった。ここで昼食休憩。
 12時18分ウォーキング再開。新鎌ケ谷を出ると線路はほぼ直角に右にカーブしている。カーブの多い路線ではあったが、これほど急角度というのも珍しい。乗ってみなけれっばわからないが、こういうのを鉄道業界では線形が悪いというが、これではスピードが出せないのではないか。

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(写真2 三方向に流れているという北総台地分水嶺の案内板)

 初富駅12時44分。ここから歩いていて珍しいものを見つけた。「分水嶺(界)」知っていますか?という看板で、何でも、ここ鎌ケ谷は北総台地の高台にあり、この付近は降った雨の水が手賀沼、印旛沼、東京湾の三方向に流れる地点だということ。看板の足もとには大きな石を組んだ記念物があって、〝雨の三叉路〟と表示してあった。分水嶺は全国あちこちにあるだろうが、三方向に流れる分水界というものも珍しい。

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(写真3 鎌ヶ谷大仏は鋳造製の釈迦如来)

 次が鎌ヶ谷大仏駅。この時には線路の左側をつたっていたのだが、踏切の手前右に墓地があり大仏があった。大仏というよりも大きな仏様という印象だが、高さ1.8メートル鋳造製の釈迦如来だった。
 大仏様のすぐ先が鎌ヶ谷大仏の駅で13時35分。ここで線路の右側に渡った。ここらあたりまでが鎌ケ谷市で、船橋市の表示が出たあたりで13時58分。二和向台駅14時22分、三咲駅14時25分と続いた。
 このあたり、線路と通りが50メートルほど離れていて、通りから線路に突き当たるまで櫛形状に何本も道が並んでいる。できるだけ線路沿いを歩きたいと思って、通りから線路に向かって歩いて行くと、行き止まりになっていて引き返さなければならない。これを何度も繰り返しているから次第に足が重くなってきた。
 滝不動駅14時48分を経て高根公団駅15時15分到着。駅前のロータリーに立派なイチョウの木があった。昭和30年代か、日本住宅公団が開発した大規模団地で、地元のおばさんの話によると、再開発が進んでだいぶ様変わりがしてきたということだった。
 ここまでくぬぎ山駅から9.9キロ、歩きはじめて約5時間。この日はここでつたい歩きは終わり。初日もそうだったが、どうやら私のつたい歩きは、1日あたり5時間10キロというのが一つの標準のようだ。
 結局、この日も全線を歩き通すことはできなかったが、残りはまた次回ということにした。

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(写真4 高根公団駅前ロータリーのイチョウの大木)

長島美術館(鹿児島市)

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(写真1 素晴らしい眺望の喫茶室)

ミュージアムカフェを訪ねて

 長島美術館は、鹿児島中央駅西口から車で約5分。100メートルほどの丘の上にありきつい坂道を登らなくてはならないから歩くにはつらい。
 しかし、その分眺望は断然いい。2階の喫茶室からは、鹿児島市街を眼下に錦江湾越しに噴煙を上げる桜島の雄大な風景が一望できる。これほどの眺めは、全国のミュージアムカフェの中でも稀なのではないか。1杯ずつドリップしてくれるコーヒーがおいしいし、いつまでも飽かずくつろいでいたくなる。

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(写真2 展示室の様子)

 コレクションは、地元出身の黒田清輝を初めユトリロやマリー・ローランサンなどと内外の名品が揃っていて見応えがある。
 日本近代洋画の父と呼ばれる黒田清輝だが、黒田の若いころの自画像が面白かった。強い自我は感じられるものの、何しろ平凡な顔をしていたのだ。
 海外の画家のものでは、セザンヌの「髭のある男」が気に入った。
 彫刻にもいいものが多くて、舟越保武「聖クララ」や佐藤忠良「ポケット」などが展示されていた。

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(写真3 佐藤忠良「ポケット」)

鹿児島 日本最南端の路面電車

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(写真1 1系統2系統の電車が発着する鹿児島駅前停留所)

九州の路面電車を訪ねて③

 かつては全国80近い都市に四通八達していた日本の路面電車。モータリーゼーションの進展などから次々と廃止されていき、現在残っているのは20に満たない。
 しかし、環境に優しい交通機関であり、バリアフリーであることなどから路面電車を再評価する動きは着実に進んでいて、10ほどの都市で復活や新設が検討されているようだ。ただ、建設費用のみならず採算面などからもハードルは高いようだが、既存路線を環状線化して成功した富山や札幌の例もあり、大きな潮流になる可能性はある。
 こうした中で健全な経営に評価の高いのが鹿児島市電。わずか二つの運転系統に年間1千万人の利用者がある。もちろん鹿児島市電にも廃止した路線もあるが、様々な取り組みで市民に支持される市電の地位を守ってきている。
 日本最南端の路面電車である鹿児島市電。運転系統は二つ。1系統(青)は鹿児島駅前から騎射場を経て谷山に至る。9.4キロの路線で、海沿いを南北に走る。2系統(赤)は鹿児島駅前から高見馬場で1系統と分かれ山際を走り鹿児島中央駅前などを経て郡元に至る5.6キロの路線。郡元で1系統と再び接続している。
 起点は鹿児島駅前。中央駅としての存在は、西鹿児島駅から鹿児島中央駅と名称を変えてなおさら遠くなったが、線区上は現在も鹿児島本線、日豊本線の終点。
 この鹿児島駅前に鹿児島市電のターミナルがあり、4面3線に1系統谷山行き、2系統郡元行きの電車が発着している。鹿児島駅に突き当たる行き止まりの終着駅の風情がある。なお、その鹿児島駅は改築中だった。
 1系統は、鹿児島駅前を出ると桜島桟橋通、市役所前から鹿児島最大の繁華街天文館通となり、この先で左折して高見馬場となり、郡元を過ぎると指宿枕崎線と並行するようになりそのまま谷山に至る。谷山は駅舎のある停留所。まるで電停とは思われない貫禄だ。なお、この付近にはラサール学園があったはず。
 一方、2系統は天文館通までは一緒だが、ここから左折する1系統と離れそのまま直進すると高見馬場の停留所。つまり、同じ停留所名だが1系統2系統とは場所が異なる。この先、鹿児島中駅前などを過ぎて郡元へと至る。
 ただし、ここの停留所もちょっと変わっていて、丁字形になっていて、2系統は左折して1系統と合流したところに停留所がある。
 また、ここには2系統から来ると右折する線路も敷かれているではないか。つまり、2系統から1系統への渡り線となっているのだ。
 ただ、電車の運転上は2系統の電車が谷山方面に直通することはないはずで、鹿児島駅前に停車中の運転士さんにたずねたところ、朝夕稀に鹿児島駅前発2系統電車が谷山行きとなるダイヤが存在するとのこと。それでわざわざその電車を探して乗ってみた。はなはだ物好きなことだが、これが鉄道ファンのこだわり。

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(写真2 運転席後ろから見た市電の様子。軌道敷は緑化され、センターポール化されている)

 鹿児島市電に乗っていて感心すること幾つか。一つは線路が敷かれている軌道が芝生となっていること。また、給電線がセンターポール化されており、はなはだ都市としての景観がいい。また、センターポール化したことによって自動車との折り合いも良くなり、運行がスムーズになったとのこと。
 天文館通などおよそ1分間隔で走っている区間もあり、様々に乗客の利便性が図られていて、鹿児島市電の取り組みは好ましいものだった。電車も3連接車など新型も数多く投入されている様子だった。
 ちなみに、鹿児島市電の運賃は大人170円で、一日乗車券は600円(バス含む)。

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(写真3 3連接の新型車両)

熊本 城下町の路面電車

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(写真1 サイドリザベションになっている田崎橋停留所。停車中の電車は水戸岡鋭治設計の0803車両)

九州の路面電車を訪ねて②

 九州にも路面電車は数多く走っていた。福岡や北九州にもあったが、現在残っているのは長崎や、ここ熊本のほか鹿児島だけ。
 熊本は、松山と並んで路面電車の似合う城下町だ。通町筋などお城を仰ぎ見ながら路面電車が走る様子はとても風情がある。
 熊本で路面電車は熊本市交通局が運行するいわゆる市電。かつては、川尻線などと幾つもの路線があったが、現在は、線区上は5つになるものの、運転系統としてはA系統(田崎橋-健軍町)、B系統(上熊本駅前-健軍町)の2系統。
  ラインカラーが赤のA系統は、田崎橋を出ると、二つ目が熊本駅前。この間はサイドリザベーションになっている。つまり、ホームが道の真ん中ではなく歩道寄りに設けられているということ。乗客としてはとても利便性が高い。日本の路面電車で初めての取り組みだった。その後、札幌市電もループ化の際に一部区間をサイドリザーべーション化している。
 乗った電車は新型車両で、同席した女性によると、著名な鉄道車両設計者水戸岡鋭治設計になる車両だとのこと。なるほどしゃれていて、超低床の連接車だった。

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(写真2 上熊本駅前停留所)

 一方、青をラインカラーとするB系統は上熊本駅前が起点。この停留所はJRと熊本電鉄の上熊本駅に接する。なお、ここには市電の車庫があった。
 上熊本駅前を出ると間もなく熊本城の外縁をぐるり取り囲むように進む。熊本城の大きさがわかる。辛島町で右から並行してきたA系統と接し、この先はA系統、B系統ともに同じ線路を進む。
 ほどなくお城を仰ぎ見るようになり、市役所の前で右に大きく曲がり通町筋の停留所。このあたりが熊本の繁華街か。左右にアーケード街が連なっている。なお、今回はお城には登らなかったから、復興の様子はつまびらかではない。
 豊肥本線とクロスし、水前寺公園を過ぎるとほどなくして終点健軍町。この停留所に降り立ったのは三度目だが、この付近には陸自の駐屯地があるようで、西武方面総監部も置かれているようだ。

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(写真3 市電から仰ぎ見る熊本城)