ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『銃』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)

現代の狂気を描く

 主人公は大学生西川。雨の荒川河川敷で、男の死体の傍に落ちていた拳銃を拾う。アパートに持ち帰って、ためつすがめつしながら拳銃を持っていると喜びを感じるようになっていく。誰かを殺すことを目的に作られた拳銃の造形の美しさに惹かれていく。
 初めは、アパートに隠していたが、そのうち持ち歩くようになる。そうすると、高揚してきて男らしい颯爽とした歩き方になるのだった。
 近所の公園で、動けないでいる猫を見つけると、顔に至近距離から2発撃ち込む。駆け足で現場を離れるが、興奮が冷めやらない。
 ある日刑事が訪ねてきて、拳銃を拾ったこと、猫を的に試し打ちをしてみたことなどを指摘する。あまりにも平然とした受け答えに、刑事はかえって西川の犯行を確信するが、証拠は何もない。ただ、刑事は西川に「次は人間を撃ってみたいのではないか」と指摘する。また、刑事は今のうちに拳銃を分解して捨ててしまえとも。
 しかし、拳銃に取り憑かれた西川は、誰かを殺さなければという強迫観念に追われていく。
 西川は、初め友人たちともそつなくつき合っていて屈託はなそうにも見えたが、拳銃を拾って人間が変わっていったようだ。深層に潜んでいた狂気がもたげてきたようで、つき合っていた二人の女子学生にもどちらからも「変態だ」といって逃げられてしまう始末。
 このように映画は、外見はおとなしそうな現代の若者を描いていて、しかし、その表情の下に潜む凶暴で残酷な姿をあぶり出している。また、西川の刻々と変化する心情をとらえていて目をそらすことのできないたぐいまれな心理劇となっていた。とくに、「もう少しなんだけどな」とうそぶいたラストシーンは複雑な印象を与えていた。
 ただ、一昔前であれば、若者を描くと、自己疎外とか不条理とかいうのが常套句だったが、この映画ではやはり新時代なのであろう、狂気や変態に移っていて、大変恐いものだった。
 また、映画はモノラルで、観ていて緊迫があって面白いし違和感はなかったが、光と影の描写に印象深いところが少なく、これではフィルムノワールということでもなさそうだし、積極的な意味を見いだせなかった。さらに言えば、同じ狂気や変態を描くにしても、かつてなら意識下のモンタージュなどの映画手法もあったのに、今日には新しい映画言語は生まれていないのだろうか。
 原作は中村文則の同名小説。デビュー作であり、新潮新人賞を受賞した作品だが、同じ原作者の作品ということで後年の『掏摸』に比べると、原作者の特徴であるディテールの積み上げが弱く、映画に寄り添う感動が薄かった。監督武正晴。

新京成線つたい歩き②

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(写真1 路線中の大きな駅八柱駅前。右隣がJR新八柱駅)

素晴らしい景観の常盤平の桜並木

 みのり台駅を出てそろそろお昼。歩きながらいい店はないものかと物色していた。鰻屋があったが時間がかかりそうで敬遠。うまそうなラーメン屋があったが、ここは12時前だというのに列が外にまではみ出している。焼き肉屋も本格的すぎるなどと歩いていたら12時ぴったりに八柱(やばしら)駅到着。ここまで約2時間かけて路線距離なら4駅3.8キロにしかならない。急ぐ旅ではないが、ちょっとのんびりしすぎているかも知れない。
 すぐ隣に並ぶようにJR武蔵野線の新八柱駅もあって大きな駅前でにぎやか。しかし、結局は気に入った店が見つからなくて手近なラーメン屋に入った。ビールを飲みたかったが、この先まだまだ歩かなければならないし自重した。

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(写真2 見事な景観のさくら通り。日本の道100選)

 12時40分ウォーキング再開。風もなく陽射しもあって歩いているとちょっと汗ばむほどだ。ほどなく「さくら通り」に出た。日本の道100選とある。なるほど見事な桜並木が続いている。随分昔になるが、桜が満開のころに来たことがあるが、まるで桜のトンネルのようだった。
 この通りは一直線に線路に並行している。線路際にも道はあったが、美しい街路だし、街並みも素晴らしいのでそのままさくら通りを歩いていた。しかし、あまり長い時間線路から離れていてもつたい歩きの趣旨に反するかと思い、途中から再び線路沿いを歩いた。
 そうすると、線路の向こうに21世紀の森が見えた。松戸市の運動や文化の総合公園で、先日のことだが、この一角にある松戸市立博物館に来たばかりだった。
 相変わらず電車が頻繁に通過している。平日の日中にしては列車本数は多く、調べてわかったことだが、この地域で都心へ乗り入れている大手の路線よりも本数は多いそうである。このことはつたい歩きではわからず、乗ってみないとわからないが、駅間距離も短く、細かく乗降する生活路線としても定着しているのだろう。列車は6両編成で、クリームにピンク色の車体や、ベージュに茶の帯の塗色など3種類の車体色が見られた。
 どうも、鉄道の方に関心がいって、つたい歩きとはいいながら沿線風景への眼の配りが少ないかも知れないなどと考えていたら、常盤平(ときわだいら)駅に到着した。13時15分。駅前はロータリーになっていて、さくら通りに直角に伸びている道はけやき通りというようで、これも景観の素晴らしい並木だった。
 この周辺は常盤平団地。1960年前後に開発された大団地で、当時は文化的生活に憧れる庶民にとって人気だったのではないか。ただ、かつての大団地もこの頃では高齢化しているようだが、ここはどうか。
 さくら通り沿いには立派な戸建て住宅が並び、しゃれたカフェなどもあって素晴らしい景観を守っていたが、子供が大きくになるにつれて、団地を出てこの通り沿いに戸建て住宅を構えた人も少なかったに違いないと思われた。
 そんなことを考えながら歩いていたら五香(ごこう)駅に到着した。13時52分。美しい名前の駅だが、どうやらさくら通りはここまでのようだ。
 上空をしきりに自衛隊の航空機が飛来している。比較的低い高度で飛んでおり、機影がはっきりし、爆音も大きい。4発のエンジンを搭載しており、柏市にある海自下総基地所属の対潜哨戒機であろう。
 また、地上では選挙が近いらしく、選挙カーが候補者名を連呼している。どうやら松戸市議会議員選挙らしい。
 元山駅14時27分。ここから線路つたい歩きが難しくなり、見当をつけて広い道路を進んでいったら、踏切に当たった。何とこの日初めての踏切だった。
 踏切の手前右手は陸自松戸駐屯地の広大な敷地で、線路つたいができない。それで踏切(元山3号とあった)を渡り、その先を右折しようとしたが、今度は大きな団地に行く手を阻まれた。
 このあたり、鎌ケ谷市となっていて、松戸駅を出て歩きはじめてから初めて松戸市を脱出したことになる。大きな団地は初富住宅というらしく、ここを突っ切らせてもらった。
 大きな見当は間違っていなかったらしく、この日2度目の踏切を越すとくぬぎ山駅だった。この時14時58分。駅のすぐ目の前に新京成電鉄の本社ビルがあった。
 この日の当初計画では、新京成線全線は到底無理としても、中間地点の新鎌ヶ谷駅までは足を伸ばす予定だったが、すでに歩きはじめて5時間にもなっているし、疲労が強いわけでもなかったが、初めてのつたい歩きで張り切りすぎて無理をしてもいけないと思い、この日のつたい歩きはここで打ち切った。ここまで松戸駅から路線距離で9.6キロだった。
 それにしても、踏切は最後になって渡ったが、結局、橋は渡らなかったのではないか。そういう意味でも面白い路線だった。
 初めてのつたい歩きだったが、とにかく楽しかった。鉄道は乗ってばかりの自分としては不思議な気持ちだった。歩ききれなかった部分は、いずれ再度チャレンジする機会もあるだろう。

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(写真3 くぬぎ山駅前の新京成電鉄本社ビル)

新京成線つたい歩き①

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(写真1 松戸駅を出発した新京成線電車)

楽しい初体験

 久住昌之の『線路つまみ食い散歩』を読んで俄然〝つたい歩き〟に興味を持った。つたい歩きとは、鉄道線路沿いをつたって歩くことだが、乗っていては見えてこないものが見えてくるのだろうか、そう思ってつたい歩き実践に出掛けてみた。
 何しろ初めてのこと、どの路線にするか慎重に検討してみた。乗るということでは、全国の鉄道をそれこそ全線を踏破したことがあるが、つたい歩きにはどこがいいものか。初心者向けのコースはないものか、1日の走行距離はせいぜい10キロ程度、そうすると歩く時間は5時間程度か。あまりアップダウンの少ない路線がいいのではないか。鉄道地図を広げて吟味した。
 それで、首都圏に絞って選定したのが新京成電鉄新京成線。千葉県松戸市の松戸駅から習志野市の京成津田沼駅を結ぶ全線26.5キロの路線。地図で見ると結構曲がりくねった路線で面白そうだ。これを全線一気に踏破するのは難しそうなので、まずは半分ということに。
 11月15日木曜日、快晴。決行日は週間の気象情報を睨みながら決定した。松戸駅。駅ビルもあり大きな駅。乗客も多く駅前もにぎやか。JR常磐線と新京成線の接続駅で、構内改札があり、新京成線にもそのまま乗り継げるようになっている。ホーム番線もJRからの連番で、7、8番線。
 しかし、今日は乗り鉄のレポートではない。あまり詳しく松戸駅の観察もいらないのではないか。
 そう思い、東口つまり下り列車の進行方向右に出て歩き出した。10時20分。繁華街で、その中に聖徳大学の立派なビルがあった。飲食店が軒を並べている通りを突き当たると、左に線路が見えた。角にはホテルがあり、若い男女が入っていった。こんな朝早くから何用かとも思ったが、あるいは従業員だったのかも知れない。それほど堂々としていた。線路際には角海老というソープランドがあり、「営業中」と電光表示があったが、こちらはさすがにこの時間では人の出入りはなかった。コンパニオン募集の広告が壁に貼り付けられていた。今やどの業界も人手不足なのであろう。それにしても、松戸は古くからこういう歓楽街があったものなのであろうか。
 線路に沿って歩きはじめたら間もなく行き止まりになってしまった。角から見ていた時にはそうは見えなかったから元に戻ったが、そうか、つたい歩きにはこの苦労があるなと思ったものだった。
 広い通りに出ると松戸市役所があり、税務署などの役所が並んでいた。住宅街がつづき、立派な塀を巡らした大きな家が多いことに感心した。高級住宅街なのであろう。
 ほどなく水戸街道(国道6号線)に出た。左に立体交差する新京成線の高架が横切っていて、鉄製の箱桁の横腹には「千葉へ直通60分」と大きく書かれていた。新京成線は京成津田沼駅までが線区だが、松戸発の列車の半分ほどは京成線に乗り入れ千葉中央駅まで直通している。

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(写真2 上本郷駅前にあった周辺地図。これが大変参考になった)

 国道を渡ると細い道が増え、線路からも離れたようでつたい歩きも不安になってきたが、ほどなく上本郷駅を見つけた。松戸を出て最初の駅である。ここで11時05分。松戸-上本郷間はわずか1.7キロのところ、ちょっと路上観察が丁寧すぎたのかも知れなく、時間を食いすぎた。小さなロータリーに面し、駅舎は3階建てのビルになっていて、2階が改札口だった。
 駅前には周辺地図の看板があった。これによると、新京成線は上本郷駅の前後でゆるくカーブをしていることがわかったし、どうやら線路沿いに道の続いていることがわかった。
 津田沼に向かって右側、つまり松戸行き上り列車側を歩いている。列車が頻繁に行ったり来たりしている。走行スピードがかなり速い。アップダウンが少ないし路盤もいいのだろう。また、軌間が1435ミリと広いこともスピードの出る要因だ。新幹線と同じゲージ幅だから、JRや大方の鉄道の1067ミリに比べ断然有利だ。
 順調に歩いて来て11時20分松戸新田駅到着。2面2線相対してホームがあった。ここでトイレを借りたが、とても気持ちのいい対応だった。
 続けて歩いていたら、駅舎が見えてきたし、そのまま改札に出るのかと思ったら、これが行き止まり。大きく迂回させられた。11時37分みのり台駅。(つづく)

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(写真3 跨線橋から見たみのり台駅。左は下り京成津田沼行き列車。線路際右に道路が沿っている)

植本一子『フェルメール』

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独特の写真紀行

 ずばりとした書名だが、内容はフェルメールに関するガイド本でも画集でもないのでまずは念のため。
 著者は写真家。傍ら執筆も手がけるという様子。34歳。出版社の依頼でフェルメールの全作品を写真に撮ることになり、世界各地に散らばっているフェルメール作品を探し求めて旅をした写真アルバムであり紀行文。
 何しろ、著者はフェルメールの研究者でもファンですらなく、フェルメールについてほとんど知らなかったというから驚くが、まずは全点撮影へと旅立つ。巡るのは7カ国14都市17の美術館。
 フェルメール作品全点踏破の旅ということでは、ジャーナリストでフェルメールに関する著作も多い朽木ゆり子の『フェルメール全点踏破の旅』(集英社)や作家で自他共に認めるフェルメールファンである有吉玉青の『恋するフェルメール』(白水社)などとあるが、本書はそのいずれとも系譜がまったく違う。
 まず、写真について。著者は写真家。ただ、ちょっと変わった写真観があってスタンスが独特。持参したカメラがわざわざフィルムカメラ。著者自身この頃ではフィルムカメラを使うことはほとんどなくなったというのに、やり直しの利かない緊張感を持ちたいという理由でフィルムカメラにしたということ。それなのに感度の低いフィルムばかり持参したため、手ぶれが心配になったと悩んでいた。およそプロにあるまじき段取りだ。しかも、美術館で額縁に入っている絵を写したという経験もなかったと言うから大胆だ。
 しかし、本書に掲載されている写真は素晴らしい。さすがと言うべき。しかもコンセプトが面白い。版元と話し合って行ったことだろうが、額縁に納まっている絵を忠実に収めているのではないのである。美術館の様子、それも、額縁が掛かっている壁の色、床のカーペット、額縁の高さまでもがわかるようになっているし、フェルメール作品の前にたたずむ人々までも写っているのである。時には美術館のある町の風景も載せてあるという具合。
 だから、読者は、まるで自分がフェルメール作品を見るための旅を行っているという感覚に導かれる。これはいい。これまでの美術館紀行とは違った趣きが感じられる。
 違うということでは文章もそうだ。版元からは、写真撮影のみならず、紀行文の執筆も当初から依頼されていたらしい。
 これを著者は日記体の要領で記述している。紀行文というよりも日記帳という様子だが、これが、行動の記録のみならず、著者の心情やフェルメールに対する率直な感想にまで及んでいてとても生き生きとしていて面白い。作家が書く文章とはまた違った味わいがあるのである。
 面白いのは、旅が続くにつれて著者の心の動きがわかることだし、初め、フェルメール作品など目の当たりにしたこともなかったというのに、毎日毎日フェルメール作品を見ていると感覚が研ぎ澄まされていくようで、特にそこは写真家だから美術評論家とは違った鋭い感想があってうならされることたびたびだった。
 著者はこのたびの撮影行についてどうやら一つの考えを持っていたようで、それは「どんな撮影でもなるべくフラットな状態の自分で臨みたい」ということだし、「日本にいる間、少しはフェルメールの勉強をしておこうとしたものの、結局ほとんど何も調べなかった。その方がいいと思ったのだった」と。
 しかも、いくつも見て歩いているうちにフェルメールの神髄に近づいているようなのだ。
 「改めて今、自分の目で本物を見ているのだと実感する。細部はそこまで描き込んでいないのに、引いて見るとまるで写真のように見えるのはなぜだろう。窓から入る光をいつも丹念に描いているが、それがフェルメールの全てとも言える気がする。」
 また、館内で出くわした日本人ガイドの説明を何げなく聞いていると興味深かったと言いながら、「ただ、勉強にはなるが、知識や情報が入るほど、自分が絵を見てどう思うか、どう感じるか、という部分が抜けていくような気がした。正解がわかったら、それ以外のものは選びづらくなってしまう。今回は正解を導くことではなく、フェルメールと自分の関わり方を模索する、それだけを何より大切にしようと思ったのだ。」と述べている。この姿勢は大賛成だ。
(共同発行=ブルーシープ+ナナロク社)

京成金町線

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(写真1 京成高砂駅5番線京成金町線ホーム)

都東部の小路線に乗る④

 都東部の小路線に乗る旅四つ目は京成金町線。
 まずは亀戸からは再び曳舟まで戻り、東武線はここで下車。ここから京成曳舟駅に徒歩移動。このあたりは下町の情緒が見られていたものだったが、久しぶりに降り立ってみると、東武の曳舟駅前も、京成曳舟駅前も線路は高架になり、駅舎も真新しくて、駅前も再開発されたらしく、昔日の面影はなくなっていた。
 東武駅から京成駅まで歩いて数分。お互いの高架線が見えているから迷うこともない。両駅を使って乗り継ぐことも可能なようだったが、実際にそのように利用している人はいるものかどうか。東武で行っても、京成でも同じように都心に乗り入れているから、利便性は同じようなものだが。
 さて、まずは京成曳舟から京成高砂へ。京成曳舟で都営浅草線から直通してきた列車に乗車。八広を過ぎると大きな川を渡った。荒川である。この日4度目の荒川である。青砥-京成高砂間にも中川があったし、このあたり河川が多い。
 青砥までは京成押上線だが、そのまま京成本線で京成高砂へ。青砥は京成上野を起点とする京成本線との合流地点。
 京成金町線はこの京成高砂から。京成本線から下車すると、いったん改札口を出てすぐ向かいにある京成金町線専用の改札口へと足を運ぶ。改札外乗り換えなのである。
 京成金町線のホームは、京成高砂駅5番線、高架の片側1線である。行き止まりのホームとなっている。前の列車は発車したばかりだったが、すぐに次の列車が入ってきた。運転間隔は短いようだ。京成金町線は、京成高砂と京成金町を結んでいる。全線2.5キロ。途中に柴又駅があるだけの小さな路線。全線が葛飾区内である。
 10月30日15時22分の発車。4両のワンマン運転。京成高砂を出るとすぐに左にカーブをして本線と離れていき、次第に高架を下っていき平地に降りた。

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(写真2 寅さんの銅像が迎えてくれる柴又駅前)

 やがて柴又。柴又帝釈天の最寄り駅であり、ここで途中下車。山田洋次監督の人気映画フーテンの寅シリーズに何度も登場した駅だが、この日も駅前に建っている渥美清扮する寅さんの銅像が迎えてくれた。
 寅さんの人気が衰えないのか、帝釈天にお参りする人も多くて、駅前から伸びる狭い参道は大勢の観光客でにぎわっていた。
 私も帝釈天にお参り。そう言えば、高校時代の大晦日、除夜の鐘を聞きながら引いたおみくじが「大凶」だったことを思い出していた。大吉はあっても、大凶は滅多にないからかえって縁起が良いと同行の者にいわれて気を取り直したことを思い出していた。帰りに名物の草団子を買った。
 再び柴又から乗車。相対して2面2線のホームがあり、ここでは京成金町から来た列車と行き違い。京成金町線は全線単線で、列車交換のできる駅はここにしかないのである。
 柴又を出ると線路は見事にまっすぐ伸びている。線路の両側を道路も走って住宅街を貫いており、なかなかの景観である。
 そうこうして終点京成金町到着。京成高砂から直通すれば5分ほどの乗車か。ここも行き止まり片側1線のホーム。
 ということは、ちっと待てよ、京成金町線は、京成高砂駅も、京成金町駅も、両端の駅はいずれも単線の行き止まりだったが、つまり、列車は線内を行ったり来たり往復しているということになるのか。行き違いは中間の柴又駅で行っているわけだ。時間を調整しながら同時運行しているのだろうが、これじゃまるでケーブルカーの運行のようなものだ。これは面白い。
 4両いっぱいの乗客がどっと降りた。駅前には千代田線直通JR常磐線金町駅があり、雨には濡れるが乗換駅ではある。
 つまり、ここも東武亀戸線同様接続する駅があるわけだから盲腸線とは言わないのであろう。

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(写真3 JR金町駅と向かい合っている京成金町駅)

東武亀戸線

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(写真1 曳舟駅5番線ホームに停車中の亀戸線列車。後方かすかに見えるのは東京スカイツリー)

都東部の小路線に乗る③

 東武大師線からは西新井で伊勢崎線に乗り換え、そのまま曳舟で亀戸線に乗り継いだ。大師線には亀戸線から回送する列車運用があるということだったが、その逆順をたどったことになる。ちなみに、計算してみたら、大師前駅から亀戸駅まで営業距離9.1キロ、駅数は15だった。
 曳舟駅は小さな駅だが、3面5線のホームを有し、ここで浅草方面に向かう列車と、押上を経て半蔵門線・田園都市線に直通する列車とが分岐しており、上り下り4方向の列車が頻繁に行き交っている。
 亀戸線は片側1線5番線ホームからの発着。2両のワンマン運転で、列車編成も大師線と同じ。運用を考慮したものであろうか。平日の日中なのに乗客は多く、下町の大事な足になっている様子だった。
 10月30日13時43分の発車。小村井、東あずま、亀戸水神と停まって亀戸。亀戸線は3.4キロの短い路線で、駅間距離が短く頻繁に停車する。小村井-東あずま間などわずか600メートルしか離れていない。なお、亀戸は亀戸天神で有名だが、亀戸水神で亀戸天神と間違えて下車する人がいるらしく、ホームには亀戸天神は亀戸駅下車と大きく断り書きがあった。もっとも、亀戸線にはかつて天神という駅があったからややこしい。

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(写真2 亀戸駅に到着した列車。右後方上部はJR総武線)

 そうこうして終点亀戸到着。ここは行き止まりで1面2線のホームがある。駅ビの中を歩いて行くと雨にぬれずにJR亀戸駅に通じる。だから、他社線ではあるが接続できるのだから、ここは盲腸線とは言わないのではないかと思う。ただし、盲腸線の定義は難しくて、いろいろな意見があるから一筋縄ではかない。
 さて、折角亀戸に来たのだから、亀戸天神に寄ってみよう。駅前の明治通りを右つまり北に向かい少しして蔵前橋通りを左折するとほどなく右手に亀戸天神。約10分ほどか。
 もとより菅原道真を祀った天満宮だが、大変人気の高い神社で、年間を通じて参詣者が絶えない。
 天満宮といえば梅がすぐに思い浮かぶが、ここは江戸時代から藤が有名だったようで、境内に広がった藤棚が満開になる4月下旬から5月上旬は参詣者で溢れる。特に、太鼓橋の上から藤棚を見下ろすのは独特の情緒があって人気が高い。

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(写真3 亀戸駅から徒歩10分ほどの亀戸天神。太鼓橋の手前から本堂を眺めたところ)

東武大師線

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(写真1 西新井駅の大師線乗り換え改札口)

都東部の小路線に乗る②

 千代田線北綾瀬支線に乗った後は、北綾瀬で折り返し綾瀬から千代田線で一駅北千住に出て東武伊勢崎線(スカイツリーライン)に乗り換えた。
 北千住から4つ目が西新井。沿線上の大きな駅で3面6線のホームがあり、都心への通勤圏として交通の便も良く乗降客も多い。
 ここから盲腸のように一駅分だけ枝分かれしているのが大師線。ともに足立区内の西新井駅-大師前駅間1.0キロを結んでいて途中駅はない。東府中駅と府中競馬正門前駅を結ぶ京王電鉄の競馬場線0.9キロに次ぐ短い路線。
 西新井駅で大師線に乗り換えようとすると専用の構内改札があり、「大師前駅には改札がございません。きっぷはここで回収となります」との表示が出ている。あらかじめ大師前までの料金もここで徴収される仕組み。自動改札機が5台も並んでいるから利用者が多いのだろう。
 大師線のホームは1、2番線。1面2線のホームで、1番線は行き止まりで、2番線が本線につながっている。大半の列車は1番線を使用した折り返し運転で、本線との乗り入れ列車はない。

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(写真2 西新井駅2番線大師線ホームに入線してきた大師前行き列車)

 ホームで列車を待っていたら、2番線に列車が入線してきた。これは大変珍しい。回送列車で、この列車の運用が面白い。どうやら亀戸線から回送されてきたものらしい。亀戸を出ると曳舟で本線に合流し北千住を経て西新井に至る長い回送となる。1日に日中1本だけのことらしく、どういう必要があってこのような運用を行っているのかわからないが、どうせなら、亀戸発大師前行きにして乗客を乗せて欲しいものだ。
 そのことはともかく、10月30日12時12分発大師前行き。2両編成で、濃いグリーンに白い帯1本。車両番号は8568とある。ワンマン運転。

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(写真3 ヨーロッパの駅を思わせるような大師前駅の大きなホーム)

 西新井を出るとすぐに左にカーブし本線から離れていく。単線で、建て込んだ住宅地の中を走りわずか2分で終点大師前到着。大きな屋根に覆われた幅の広いホームで、2両編成の列車が発着するにしては立派。大きいホームだが、列車が発着するのは片側1線のみ。
 降りてみると、なるほど大師前駅には自動改札口はなかった。切符の購入も西新井駅の乗り換え改札口にある自動券売機を使用するようになっている。
 駅を出るとすぐに目の前が西新井大師。大きなお寺で数多くの堂宇が展開している。正式名称は總持寺といい真言宗豊山派の寺。通称西新井大師は川崎大師などと共に関東三大師の一つに数えられ親しまれている。初詣の参拝客も多く、それでホームが大きかったものであろう。
 なお、参道は環七通りから始まっている。何のことはない、さっき降りた北綾瀬駅とは環七でつながっていたわけだ。東京都北東部の交通事情がわかる。
 

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(写真4 堂々たる西新井大師大本堂)