ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

フィラデルフィア美術館

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(写真1 フィラデルフィア美術館正面)
フィラデルフィアの美術館①
 フィラデルフィアでは二つの著名な美術館を訪ねることができた。フィラデルフィア美術館とバーンズ財団の美術館で、ともに世界有数のコレクションで知られる。
 二つの美術館は、ベンジャミン・フランクリン パークウエイという同じ通りに面して比較的近いところにあって、中央駅である30丁目駅からは歩いても15分くらいのところらしかったが、私は都心からバスで向かった。バス停で地元の人に伺っても、バスの運転手に尋ねても、とても親切な対応で、迷うことなく行くことができた。シティ・ホールから西北に向け、碁盤の目のような街路を斜めに貫くような大変立派な通りで、美術館や博物館が並び、ミュージアム・ストリートとでも呼びたいような通りだった。
 フィラデルフィア美術館はスクーキル川沿いの小高い丘の上にあって、まるで神殿かと見紛うほどの堂々たる建物だった。
 美術館は、1876年、アメリカ建国100周年に際し開館、コレクションは30万点を数え、全米有数の規模を持つ美術館として知られる。
 シルヴェスター・スタローンが主演した映画『ロッキー』で使われた石の階段を登っていくのだが、正面玄関から振り向くと、フィラデルフィアの街が眼下に一望できた。
 建物は3階建てだが、展示室は2階と3階(現地の言い方なら1階と2階)に広がっていて実に広大。ここに実に幅広いコレクションが展示されていた。アメリカ、ヨーロッパ、アジアからコンテンポラリー・アートにまで及んでいる。

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(写真2 ジョルジョ・デ・キリコ「予言者への償い」)
 特にヨーロッパの絵画が充実していたのも私にとっては魅力で、順に見ていくと、モネ「鉄橋」、ルノアール「ルグラン嬢の肖像」、モネ「ジベルニー」、セザンヌ「大入浴」、マティス「女の頭」、ピカソ「パレットを持つ自画像」などと並んでいる。
 こうした中で私にはマティス「女の頭」(1917)がいかにもマティスらしい味わいが感じられたし、ジョルジョ・デ・キリコ(イタリア)の「予言者への償い」(1913)は斬新で感心した。また、アメリカ絵画ではアンディ・ウォーホルの「ジョセフ・ビューイの肖像」(1980)はシルクスクリーンによるものだったが、ウォーホルの特徴がよくでていて面白かった。
 会場を回っていて、既視感にとらわれて不思議だった。ここフィラデルフィア美術館は初めてだったのに、見たことのある絵が多かったのである。ルノワールの「ルグラン嬢の肖像」などこのかわいらしさは忘れようもない。
 展示されている作品が世界的名画であるということはもちろん、もう10年ほどにもなるか、東京でフィラデルフィア美術館展が開かれており、その折に見たものが並んでいたものであろう。それで思い出深かったのであろう。

 フィラデルフィアは、全米第五の都会だが、全米でも屈指の大学町であるとともに、美術館は全米有数のものであるし、このたびは機会がなかったが、オーケストラも全米五指に入る著名なものだし、町を築いていくということは開拓時代から引き継がれた建国の精神なのだろうと思われた。

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(写真3 会場には子どもたちが鑑賞に訪れていた)

注)作品名は私の翻訳だから日本で流通しているものと合致しているかどうかはわからない。

フィラデルフィア散策

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写真1 フィラデルフィアの中央駅30丁目駅)
美しい古都
 ニューヨーク滞在中の一日、少し足を伸ばしてフィラデルフィアを訪ねた。私は滞在中に近隣の都市へ、ある種のエクスカーションをするのが好きで、これまでもニューヨークからワシントンへ日帰りの小旅行を何度か行ってきた。そしてその際、フィラデルフィアを通過するたびに一度は降りてみたいと念願していた。ニューヨークからワシントンへは3時間弱で、PHLは1時間30分のところである。
 ニューヨークペン・ステーションからアムトラックに乗車。アムトラック(AMTRAK=全米鉄道公社)は、全米に鉄道網を有し、ニューヨークからワシントンやボストンあるいはシカゴなどと結んでいる。ニューヨークはペン・ステーションがターミナル。
 8時05分、ペン・ステーションを出ると、ニュー・アークなどと停車していった、ニュー・アークはニュー・ジャージー州の州都であり、ニューヨーク三大空港の一つニュー・アーク空港のあるところ。乗った列車は、ノースイースト・レジオナル。東海道新幹線でいえばこだま型で停車駅が多い。ちなみに、最速ののぞみタイプはアセラ号である。ほかにも様々な列車タイプがある。
 沿線は原野を切り拓いていて、時折郊外都市といった様子の集落が現れる。林の中に家並みがあるといった佇まいだが、すっかり途切れることなく点々と続いている。どこまでも平坦で、トンネルが一つもない。たまにヴォーヴォーと警笛が鳴る。踏切だろうか、対向列車だろうか。頻繁に列車とはすれ違う。
 そうこうして9時32分フィラデルフィア30丁目駅到着。まるで地下鉄駅かバスの停留所かと見紛う名前だが、これがれっきとしたフィラデルフィアの中央駅。もっともフィラデルフィア駅というのも別にあるらしいが。到着するまでは気がつかなかったが、ニュージャージー・トランジットがここまで乗り入れているようだ。
 駅舎は、古代ギリシャ神殿を思わせる堂々たる建物。グランドホールにはジェファーソンと書かれた大きな垂れ幕。トーマス・ジェファーソンは独立宣言を起草したことで知られ、第三代大統領である。駅は都心の西はずれといったところにあるようだ。また、アムトラックでフィラデルフィが近づくと摩天楼が見えてきたが、これは都心の東はずれにあたるようだ。

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(写真2 丘の上から見たフィラデルフィアの景観)
 フィラデルフィアは、ペンシルベニア州最大の都市であり全米第五の人口を有する大都会。独立宣言が起草され、ワシントン特別区が建設されるまで首都だったこともあり、歴史ある都会である。
 駅前にスクーキル川があり、これを渡ると都心へと入っていく。都心を東西に貫く美しい街路マーケット・ストリートを進んでいくと、22丁目、19丁目などと丁目番号が規則正しく並んでおり、14丁目のところがシティホールだった。
 ここがちょうど中心のようで、さらに進むとオールドシティで、5丁目にはインディペンデンス・ホールがあった。いわゆる1776年7月4日の独立宣言記念館である。この先でデラウェア川に突き当たり、この対岸はニュージャージー州となる。
 いわゆる大学町であり、名門ペンシルベニア大学などがある。また、ジェファーソンはアメリカで大学の父と呼ばれて顕彰されているようだ。
 都心部は歩いて回れないことはないが、バスが市内要所を巡っているほか、マーケット・ストリートを地下鉄のブルーラインが通っている。ほかにオレンジラインもあったが、面白かったのは地下鉄同様セプタが運行すトロリーという乗り物。まるで地下を走る路面電車といった様相だった。郊外に出ると地上を走り、8路線があるという。

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(写真3 トロリー。まるで地下を走る路面電車だ)

世界経済の中心街

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(写真1 9.11跡地に建つ1ワールド・トレード・センター・ビルら)
WTCとウォール街
 ニュージャージーからはNYウォーターウエイのフェリーでハドソン川を渡り帰ってきた。上陸地点はワールド・フィナンシャル・センターである。
 いきなり世界経済の中心街へ横付けされたような感覚で、9.11メモリアルパークは歩いてすぐのところ。下船した場所から1(ワン)ワールド・トレード・センタービルが見えていた。
 ニューヨークに来ると必ずこの地を訪れる。2001年の事件から17年を迎えた。初めて訪れたときには、いかにも〝グランド・ゼロ〟という様相で、瓦礫の山が爆撃の大きさを物語っていた。
 その後も数回訪れているが、3年前に比べると、このたび訪れてみると、復興工事は進捗しほぼ竣工した様子だった。やっとという印象はぬぐえないが、ともかくワールド・センター・ビルが1から4まで4棟完成していた。

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(写真2 犠牲者の名前を刻んだ墓碑となっている滝)
 9.11メモリアルパークのまさにツインタワーが建っていた場所にはまったく同じスペースを利用して巨大な滝が構築されているが、ここの囲いは犠牲者の名を刻んだ墓碑になっている。中には白い椿の花が添えられた墓碑もあった。おびただしいほどの氏名が刻まれた墓碑ということでは、沖縄の平和の礎に似ている。意味も形も違うが。
 9.11メモリアル&ミュージアムにはこの日も入場待ちする長い列ができていた。この日は格別に寒かったのだが、黙々と列が崩れることがなかった。
 一方、他日、ハドソン川とは反対側のイーストリバーをブルックリンからフェリーで渡ってきたときは、ウォール・ストリートという名の船着き場に着いた。
  そのままウォール街を歩いて行くと、大手銀行が並び、ニューヨーク証券取引所があり、トリニティ教会に突き当たった。途中には、トランプビルなどというものまであって、記念撮影している者がいた。
 ウォール街一帯とワールド・トレード・センター界隈とは隣同士みたいなもので、歩いても10分程度であり、この狭い場所が世界経済をリードしているのかと思うと何かしらの感慨があったのだった。

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(写真3 ウォール街。突き当たりがトリニティ教会)

ブルックリンから

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(写真1 ブルックリン・ブリッジ・パークから見たマンハッタンの景観。右側のひときわ高い尖塔を持つのが1WTCビル)
独特の叙情
 このたびのニューヨークでは、ニュージャージーに渡ったので、ブルックリンを訪れる予定にはそもそもなかった。ブルックリンが好きで、ニューヨークに来るたびにブルックリンに足を運んでいたのだったが。
 それが、大雪で帰国便が欠航となって二日間も足止めになってしまい、図らずも日程に余裕が生まれたのでブルックリンを訪ねることにした。
 それに、1年ほど前になるか、『ブルックリン』という映画を観ていて、ブルックリンへの興味が改めて湧いては来ていたのだったし、ニュージャージー側から見るマンハッタンとブルックリン側から見るのとでは何か違いがあるのか、そういうことにも興味があったのだった。
  映画『ブルックリン』では、ブルックリンにはアイルランドからの移民が多いように描かれていたし、同じようにアイルランドから渡ってきた若い女性が、アメリカの自由な風土に馴染み、恋をして成長していく姿が描かれていて印象深いものだった。
 そう言えば、この若い女性の相手役の若い配管工の男が、将来は独立しロングアイランドに家を持つのだと夢を語っていたが、そのロングアイランドは高級住宅地として知られ、このたびのニューヨーク旅行ではそのロングアイランドにも行くことが出来たのだった。
 ブルックリンは、マンハッタンとはイーストリバーを挟んだ対岸に位置するが、ブルックリン区は広大で、人口もニューヨーク市5区中最大だし、一括りには語れないようだ。
 マンハッタンとは、ブルックリン・ブリッジやマンハッタン橋、ウィリアムズバーグ橋そしてバッテリー・トンネルで結ばれ、地下鉄は実に18線が往来している。
 ブルックリンには独特のアイデンティティがあるように思われる。ただ、日本人の旅行者が容易にわかるようなものはなくて、特に私の場合にはブルックリンハイツといった高級住宅地を歩くことが多いのでなおさらだ。ただ、ブルックリン内をバスでぶらぶらしていると、例えば、バスに乗っていて降りたい停留所などを車内で尋ねると、四、五人から一斉に答えられることがあって、住民の人なつっこさがうかがえるのだった。
 さて、このたびブルックリンには、地下鉄Fラインに乗りヨークストリートで下車した。ブルックリンに向かう折にはいつも利用しているルートでありあまりまごつくようなこともない。

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(写真2 ブルックリン・ブリッジとマンハッタン)
 ブルックリン側からマンハッタンを望むには、ブルックリン・ブリッジのたもと、ブルックリン・ブリッジ・パークがいい。マンハッタンの南側、ロウアー・マンハッタンの摩天楼が海に浮かんでいるように望むことができる。けだし絶景である。川幅のせいなのだが、ハドソン川を挟んだ対岸ニュージャージー側に比べると、マンハッタンがぐっと近い。
 ひときわ高いビルが、9.11跡地に建つ1(ワン)WTCビルである。かつては、ここにツインタワーのビルが見えたものだった。
 ブルックリン・ブリッジは、マンハッタンとブルックリンを結ぶ最南端の橋である。1883年の開通で、アメリカで最も古い吊り橋の一つだといわれている。鋼鉄製の橋であり、ニューヨークを象徴する景観の一つでもある。
 橋は2層になっており、上層は自転車を含めた歩行者道となっており、歩いて渡ることができる。全長1,825メートルだが、小1時間程度かかるらしい。いつか渡ってやろうと思っているのだが、今回も実現しなかった。
 そういうことで、帰途はフェリーにした。橋のたもとから各方面に行くフェリーがでており、私は最も近いウォールストリート行きに乗った。ハドソン川を渡ったときと同じNYウォーターウエイの運行だった。所要わずか数分。ハドソン川が住民の足となっていたのに対し、こちらイーストリバーのフェリーはもっぱら観光客が乗客だった。

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(写真3 ブルックリンからマンハッタンに向かうフェリーの船上から振り返ってみたブルックリンの姿)

ニュージャージーへ

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(写真1 ホーボーケンに向かう船上から見たニュージャージー)
フェリーでハドソン川を渡る
 マンハッタン島の西の対岸はハドソン川を挟んでニュージャージー州である。特にハドソン川沿いの南一帯は、マンハッタンへの通勤圏として近年人気が高まっているところらしい。これまで東の対岸であるイーストリバーを挟んだブルックリンには何度か足を運んでいるが、ニュージャージーは初めてのこと。また、ニュージャージー側から見たマンハッタンはどういう景色なのか、強い興味があって訪ねてみた。
 マンハッタンからニュージャージーへ渡るには幾本ものルートがある。一つにはペン・ステーションからニュージャージー・トランジット(NJトランジット)があって、ニュージャージー州の州都ニューアークなどを結んでいる。これがその名の通りメインルート。アムトラックもペン・ステーションを出るとまずはハドソン川を渡る。
 他方、地下鉄同様の使い勝手の良さということではパストレインが便利。パストレインとはニューヨーク・ニュージャージー港湾公社が運行する鉄道で、地下鉄として4つの路線を有する。
 マンハッタン側には、ペン・ステーションに隣接するような位置関係にある33丁目駅とワールドトレードセンター駅の二つのターミナルがあって、ともにホーボーケンなどを結んでいる。
 一方、ずばりハドソン川の両岸を結んでいるのがニューヨークウォーターウエイと呼ばれるフェリー。もっぱら旅客用のフェリーで、私はこのフェリーでニュージャージーとの間を往復した。
 往路は、西39丁目が突き当たったあたりにあったミッドタウン西39丁目フェリー乗り場から。なお、このフェリー乗り場付近には、ウォータータクシーや観光船などの乗り場が並んでいた。
 ちゃんとしたターミナルになっていて、8つのピア(桟橋)があり、ひっきりなしにボートが発着している。朝の早い時間だったから、通勤客が次々と降りてくる。
 私は6番ピアからホーボーケン行きに乗船した。100人乗りくらいのボートで、出発すると、しばらくは川を下っていった。イーストリバーに比べると川幅が広い。だからだろうか橋を架けようとしなかったのは。この川の真ん中が、ニューヨーク州とニュージャージー州との境であるという。

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写真2 ニュージャージーの玄関口ホーボーケンの駅舎)
 15分ほどでホーボーケン到着。ニュージャージー側の玄関口みたいなところで、立派なターミナルがあった。
 ここはフェリーターミナルであると共に鉄道のターミナルでもあって、鉄道駅としては、NJトランジットの9路線のほか、メトロノース1路線やパストレインなどを含めた一大ターミナルとなっている。
 ターミナルは1907年の開業で、元々は鉄道のターミナルだったところで、古色蒼然としている。駅舎の正面にLACKAWANNAとあったのは、創業時デラウェア・ラッカワナ・アンド・ウェスタン鉄道として開業したかららしい。駅舎の左側がフェリー乗り場、正面がNJトランジットのホームだった。

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(写真3 ホーボーケンの駅周辺の美しい街路)
 駅周辺を散策してみたところ、赤煉瓦の建物が目立つなかなか落ち着いた街区が広がっていた。駅前の広場には美しい公園があって、様々な小鳥たちが餌を食んでいた。
 なお、ホーボーケンのすぐ南隣りが行政上はジャージーシティで、ニュージャージー側で新しく開けてきたところで、住宅地として人気が高く、マンハッタンへの通勤者が多いということだった。なお、ホーボーケンも含めてジャージーシティと呼ぶ向きもあるようだが、行政上は違うのだということだった。
 ホーボーケンからはパストレインで結ばれているほか、ジャージーシティからマンハッタンを結ぶフェリーも出ている。
 帰途は、NYウォーターウエイのフェリーでハドソン川を横切り、ワールド・フィナンシャル・センターフェリー乗り場に帰ってきた。まさしくWFCのまっただ中に横付けされたようなところで、所要わずか5分ほど、これなら通勤には便利すぎるほどで、近年のニュージャージーの人気ぶりがわかるようだった。
  帰途の船上から見たロウアー・マンハッタンの風景は、ブルックリン側から見るのとは違って、摩天楼が大きく見えた。

 なお、ニュージャージー州ということでは、パターソン市もそうで、映画『パターソン』の舞台となったところだが、とても印象深い映画だったし訪れてみたいとは思ったのだが、時間に余裕がなくてかなわなかった。また、来ることがあるのかどうか。

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(写真4 帰途の船上から見たマンハッタン)

NYの二大ターミナル

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(写真1 グランドセントラルの豪華なグランドフロア)
グランド・セントラルとペン・ステーション
 グランド・セントラルとペン・ステーションは、ニューヨーク(NY)の二大鉄道ターミナル。どちらも発着番線数が膨大で、日本の鉄道駅では想像もできないほど巨大。
 この二つは競い合うようにあるが、まずはグランド・セントラルから。正式にはグランド・セントラル・ターミナルと称する。
 東42丁目通りに面し、パーク・アヴェニューが正面に直角に突き当たっている。列柱が建ち並ぶ荘厳な駅舎で、1871年の開業はニューヨークを代表する歴史的建造物である。
 1階のグランドフロアは、3階分にも相当しそうな天井の高い吹き抜けの巨大な空間で、星条旗が掲揚され、いかにもニューヨークの中央駅の貫禄。床や壁面は大理石である。

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(写真2 グランド・セントラルのプラットホーム。右111番、左112番の表示)
 プラットホームはすべて地下になっていて、どれほどの発着番線があるものか、順に数えていったが、途中で見失ってしまい追跡しきれなかった。後日調べてわかったが、何と44面のホームに67線を数えるということである。ちなみにこれは世界最大。しかも、地下のホームは2層になっていて、地下1階の下にさらに地下2階のホームが連なっているという具合。上階が41線、下階が26線だそうである。
 いかにもニューヨークの中央駅にふさわしい陣容だが、ここを発着する列車は実はメトロノース鉄道の近郊路線ばかりである。所属路線はハドソン線、ハーレム線、ニューヘイブン線、ニュー・カナーン支線、ダンバリー支線。
 なお、滅多に使われたことはないようだが、何とプライベートホームというのもあって、フランクリン・ルーズベルト大統領のために建設されたということである。61番線がそのホームで、このホーム線用の入り口とエレベーターが存在するらしい。
 また、地下鉄が乗り入れているが、構内には数多くのレストランやショップが入居していて、この駅を見学に来る観光客も多いらしい。

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(写真3 ペン・ステーション外観。地上はマディソン・スクエア・ガーデンの建物)
 一方、ペン・ステーションは通称で、正式にはペンシルベニア・ステーション。南北には31丁目と33丁目、東西には7番街と8番街に囲まれた広大な構内を有するが、地上にはマディソン・スクエア・ガーデンの建物があるだけで、駅舎、プラットホームはすべて地下にある。
 ニューヨークきっての繁華街であって、目の前には人気のデパートメイシーズがあり、ブロードウエイやエンパイヤステートビルにも近い。なお、私がこのたび泊まったホテルもここから近くて便利だった。
 1910年の開業で、かつてはグランド・セントラルのような駅舎があったらしいが、1962年に駅舎保存の運動を押し切って現在の駅となったようである。
 地下駅だから全容を見るのは難しいが、おびただしい数の利用者であふれかえっている。
 乗り入れているのは、近郊列車ではともにターミナルとなっているロングアイランド鉄道(LIRR)とニュージャージー・トランジット(NJトランジット)。LIRRを利用すれば、ケネディ国際空港までエアトレインとの接続ジャマイカ駅までわずか10数分である。ホテルがどこかにもよるが、空港と都心部を結ぶ最短路線である。
 また、長距離列車ではアムトラック(AMTRAK=全米鉄道公社)が全米各地と結んでいる。
 特に東海岸各都市との間は幹線で、ワシントンとは約2時間半、フィラデルフィアとは1時間強、ボストンとも3時間で結び利便性を発揮している。
 ホームの数はグランド・セントラル同様にとても多くて、30番台までは数えたが、その先は数え切れなかった。
 乗客はコンコースの電光掲示板で、自分の乗る列車の発車番線を確認する仕組み。いつものことだが、これが発車わずか10分ほど前にならないと表示が出ない。表示が出ると乗客は一斉に走ることになる。アメリカでも走るのだなと妙なことで感心した。

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(写真4 ペン・ステーションのコンコース。乗客は発車番線を知らせる電光掲示板をにらんでいる)

NYの中心マンハッタン

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(写真1 ニューヨークの中心五番街の通り)
世界無二の魅力的な街
 ニューヨークは、マンハッタンのほかクイーンズ、ブルックリン、ブロンクス、スタテンアイランの5つの行政区で構成されているが、マンハッタンがニューヨークの中心であって、一般的にニューヨークと言えばマンハッタンを指すことが少なくないようだ。
 東をイーストリバー、西をハドソン川で囲まれたマンハッタン島にあって、南北に細長い。なお、人口は山手線の内側とほぼ同じらしい。
 街路はわかりやすくて、ほぼ碁盤の目状になっている。南北に長い通りをアヴェニューと呼び、最も東側の1番から西へと2番3番と並んでいる。日本語では街と訳されるのが一般的である。もっとも、三番街と五番街の間には、レキシントン・アヴェニューやパーク・アヴェニュー、マディソン・アヴェニューなどとナンバリングによらない街路も含まれている。なお、蛇足かも知れないが、パーク・アヴェニューをパーク街と呼ぶことはないように思われる。
  また、東西の通りは34th St.などのように、ストリートは南から北へとナンバリングされている。日本語では丁目と訳されるのが一般的で、北に行くと100丁目を超す番地も見られる。また、ストリートは、5番街から東をイースト、西をウエストと呼んで区分している。だから、7番街と西34丁目の角は有名パートのメイシーズと誰にでもわかるようになっている。

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(写真2 マンハッタンのオアシスセントラルパーク)
 マンハッタンで北部を占めているのはセントラルパーク。東西には5番街から8番街、南北には59丁目から110丁目に及び、極めて広大。狭いマンハッタンでよくぞこれほどの公園を確保したものだと感心する。ざっとマンハッタンの十分の一にも達するのではないか。
  マンハッタンは、南からロウアー・マンハッタン、ミッドタウン、アップタウンなどと呼称されている。もちろん、この間にはグリニッチ・ヴィレッジやチェルシー、グラマシーなどという地域がある。
 ニューヨークの交通機関は、南北に走るのは地下鉄で、東西を結ぶのはバスと理解できるようだ。地下鉄はおびただしいほどの路線数があってとても使い勝手がいい。地下鉄も、行き先表示には必ずダウンタウンとかアップタウンなどとまずは大きな方向が明示されているから、ともかく北へ向かうか、南へ行くかの判断には困らない。
 ニューヨークの最大の景観は摩天楼であろう。50階を超す超高層ビルがずらり並んでいる景色は、ニューヨークの豊かさの特徴でもある。
  泊まったホテルがミッドタウンにあったから、まさしく摩天楼のまっただ中で、部屋の窓から外をのぞいても、ビルの谷間にかろうじて空がうかがえるような状況だった。
 それでも、マンハッタンは世界に二つとない魅力的な街であることに変わりはない。

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(写真3 ホテルの客室から見たミッドタウンの様子)